菊池龍之さんにインタビュー(Volume76)

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    しばらく間があいてしまいましたが、今回は株式会社コヨーテの菊池龍之さんをインタビューさせていただきました。
     
    株式会社コヨーテ様の仕事の概要や社名の意味・由来などを教えてください。
     
    仕事の内容は、一言で言うと人材採用のお手伝いです。
    大きく分けると2つあります。
    ひとつは、“採用”を自分達で良くしていきたいという方々に対して、採用について学ぶ場を作り、定期的に学んでいただくための「コヨーテクラブ」というものです。
    もうひとつは、個社単位に提供するもので、採用ブランドを作る支援や、人が集まる会社や人が活躍する会社にどうやったらしていけるかの支援など、採用を軸にしたコンサルティングです。
    あまりコンサルティングという言葉を使いたくはないのですが、他に適切な言葉もなく、コンサルティングと言っています。
    事業を始めたのは2011年の8月でして、今3期目の折り返し地点です。
    なんとか徐々に基盤ができてきて、上向きになってきています。
     
    社名の由来をお聞かせ頂けますか?
     
    社名の由来についてですが、アップルコンピュータのようにロゴだけでその会社がイメージできる、というようなものを考えました。リンゴのマークを見たらアップルと分かるように、何かのマークを見たら弊社と分かるようなものにしたいと。
    自分たちの造語ではなくて、何かしら生き物や食べ物にしたいという考えがあり、また、やはり採用にこだわり、軸にしていますので、採用に関わる文言がそこに入っているといいなと考えました。
    自分達では思い浮かばず、創業前からお付き合いがあり懇意にさせていただいているSoup Stock Tokyoなどを運営する株式会社スマイルズの人事部長さんに命名していただきました。
    なぜ「コヨーテ」なのかというと、雇用(コヨー)を提(テ)案すると言う言葉に掛けています。
    また、私も創業メンバーの竹村もアウトドアや野外イベントが好きでして、野生のイメージもありますし世界観も伝わりやすいなと思って、この社名にしました。
    社名は覚えていただきやすく、なんでなんですか?と聞かれて、ネタになるので有難いです。ロゴデザインは大石さんにしていただきました。
     
    仕事の内容についてもう少し深くお聞きしたいと思いますが、
    採用について学ぶ「コヨーテクラブ」について詳しく教えてください。
     
    元々、私は採用の仕事を新卒で入った会社から十数年やっているのですが、実は採用について勉強するという機会が今までありませんでしたし、採用のことを学べる場はなかったのです。
     
    立場的には採用の支援を行う部署にいたのですか?
     
    はい。営業として、お客様に採用のコンサルティングを提供していました。
    しかし、私たちは立場上、採用のプロフェッショナルですから、採用のことについて詳しいはずなんですけれども、体系的に学んでいるのかとか、色んな会社の採用の事例や新しいトレンドを知っているのかというと実は知らなくて、また、ほとんどの会社・人事もそういうことは知らないという状況でした。
    採用の情報は個社ごとの気密性が高く、学術的にも、教育やマーケティングや財務などとは違って、体系化されていないんです。研究されつくされていない状態です。
    ですので、営業の現場でも先輩の見様見真似とか、なんとなく聞きかじったことで提案していましたし、企業の人事担当も、その提案を受けながら採用を作っていくとか、自分たちの聞きかじったことで採用実務を行っていました。つまり、未成熟というか、もっと質の高いことができるはずなんですが、質を高めるような活動もなかったし、学びの場もなかったというのがこれまでなんです。
    個人的にはそういったものがあったら自分も良かったと思うし、企業側もそうだと思います。かつて私がいたような会社の採用コンサルティングももっと提案の質が高くなってより、良い提案ができるようになるでしょうから。ですので、「コヨーテクラブ」は、採用コンサルタントのためでもあるし、人事担当のための場でもある。共により良い採用を作っていくための学びの場なんです。
     
    そうすると、企業の人事担当や、そこに提案をするコンサルタントがお客様ですか?
     
    そうです。その両方です。
     
    具体的なプログラムはどんなものがありますか?
     
    毎月テーマが違いまして、すべて切り口は採用なんですが、例えば、採用におけるテクニックを学ぶという観点で言いますと、面接の技法なんかはベーシックにやっています。
    面接の仕方も、教科書に書いてある内容はそれを見ればいいのですが、実際の現場でベテランの人事担当がやっている面接って、実はなかなか他の人に知られることはありません。密閉された空間の中で、面接官と求職者、お互いがなにしゃべっているか誰にも分からないというのが面接です。
    その30分や1時間の中で人を口説ける人もいれば、人を見抜く人もいて、その人事担当たちは何をしているのかというのを、基本的にはゲスト形式で紹介しています。私がいわゆるコンサルタントとして、こうした方が良いですよというスタイルは採っておらず、実際に優れた面接をやっている方を私たちが探してきて、出演交渉をして、講演をしてもらうと、こういうスタイルでやっていますね。
     
    本を読んでも分からないし、ノウハウとしては入手しづらいことを学ぶ機会があるということですね。それは為になりますね。
     
    他にも例えば、毎月行っているテーマに「人事担当として身に着けたいファシリテーションの技術」というものがあります。会社の社内で一番難しいのは、どんな人が欲しいのかという時に、みんなが色んな意見を言って、結局は抽象論の高い求める人材像ができてしまうという点なんです。明るくて元気で素直な人が良い、とかです。でも、それは他の会社でも言いますよね。具体的にはどんな人が良いんですか?と、きちっと、人事担当が、経営者や営業責任者からヒアリングし、意見をまとめていく力が人事担当には必要なので、ファシリテーションを身に着けていただこうというわけです。
    1時間くらい採用会議をしたときに、ファシリテーターとしてどんな質問をして、経営者や営業責任者からどうやって引き出していけばいいのかなど、そういったことについて、プロのファシリテーターの養成研修なんかをやっている先生に来ていただいて学びます。ファシリテーションのテクニックを学び、そのテクニックをそのまま使って、採用会議を社内で開いてみてくださいと、そのような学びの場を提供しています。
     
    実践的ですね。
     
    このようなことを、月額会費制で、毎月1回開いています。去年からは参加できない方のために、DVDを渡しています。もちろん復習教材としても使ってもらえると思います。
    対象者が経営者ではなくて人事採用担当の方ですので、会社の行事であるとか面接が夜入るなどで、出席できないことがあります。ですのでフォローアップとして行っています。
     
    月額や入会金はいくらですか?
     
    入会金は1万円。月額5,000円です。法人も個人も同様です。
    法人でしたら2人まで参加可能です。
     
    それは安い印象ですね?5倍はとってもおかしくない。
     
    個人で入る方からすると、20歳代で自ら学びたいという方にとってはちょうどいいみたいです。
     
    20歳代の若手起業家ですか?
     
    20歳代の人事担当になられたばかりの方です。
    私たちの対象は、企業規模感で言うと中小・ベンチャー企業が多いのですが、そうすると、人事担当の方に上司がいないケースなどがあるためです。
    この規模が一番採用に苦労するんですが、私たちは、そこに対して何とかしたいという気持ちがあります。
    大手企業みたいにお金使って採用できないですし、知名度もないですし、苦戦しているんです。表現はどうかと思いますが、圧倒的に採用弱者なんです。ここに何かしら手を入れたいというのが根底にあります。だから個人でも参加できるようにしたいと思っての価格設定です。
     
    企業側も応募者から選びたいですけど、応募者側も企業を選びますよね。
    今は売り手市場ですから、中小企業は苦労しますね。
    ちなみに、中小企業の経営者なんかも参加されているんですか?
     
    経営者の参加者は、人材紹介や採用コンサルなど、採用支援会社の経営者の方々です。
     
    メインは若手の方が学ぶ場なんですね?
     
    そうです。人事担当や人事部付けの方です。
     
    総務部長や人事部長はどうですか?
     
    いらっしゃいます。
    「実践的」というのを根底に置いておきたくて、結局、集まる意味やここで学ぶ意味は、アウトプットしてもらうためなので、アウトプットしやすい形で学びの場を提供しています。勉強したことをすぐ実践する人って少ないですが、意欲のない方に教えても意味ありません。根底に、自分で採用課題をなんとかしたいという考えのある人じゃないと実践はしてくれないですからね。
     
    私なんかは行ってもいいのですか?中小企業の社長として。
     
    もちろん歓迎ですが、ケースとしては、経営者の方が「コヨーテクラブ」の存在を知っていただいて、部下の方が来られることが多いです。いろんな会社のいろんな人事担当の方がいるので、そこでの学びがメリットということのほかに、意欲が高く、これから人事担当として組織を変えたいとか作っていきたいという方が多いので、人事担当のネットワーキングを作ることができるからです。
    経営者のネットワーキングはありますけど、人事担当のネットワーキングも大事なんです。人事って孤独で、他の従業員の方から理解されないし、独自の仕事をやっているので、孤立しがちなんです。良いナレッジを共有すれば仕事で使えるってこともあり、連携も生まれていますね。
     
    ありがとうございます。
    もうひとつのコンサルティング・・・ではなくて、支援の仕事内容とは?
     
    コンサルティングと言いたくない理由は、人事系のコンサルティングは外科手術のイメージがあるからです。悪いところを取りましょう。オペをして、体を開いて、悪いところを取ると。で、治したのであとは自分たちでなんとかしてくださいねというスタイルです。しかし実際、人事系の課題解決は時間がかかりますし、人に対することなので、課題が変化していきます。外科で治した部分が他に転移して、また違う病気になった時、またお金かけて手術しますか?というのが人事系コンサルティングではよくあったケースです。見てきた中では、お金かけたけどうまくいかなかったというケースが多くて、なのでそれとは違うということを言いたいのです。
    外科ではなくて、漢方薬を提供する役割というか、お薬屋さん的な存在でいたいなと思っています。
    ノウハウやナレッジや考え方、ツールは惜しみなく渡します。その代わり現場でやっていくのは、人事担当や経営者の方であって、受け身にならずにやってください、と言っています。組織内でヒアリングしてみてくださいとか、巻き込んで下さい、ということをタスクとしてお渡しし、月に2回とか週に1回とか訪問して、状況を共有して、また新しいタスクを渡して、ここにこういうのを埋めてきてください。とか、こちら側からもアイデアを提供して、それ企画書に落としてみましょう。とかです。
    価格的にはコンサルティング会社のたぶん5分の1とか10分の1とかですけど、息が長くその会社と寄り添ってやっていくというスタイルでやっています。
     
    中に入りこんで一緒にやっていきましょう、ということですね。
     
    もう一つ意味があるのが、私たちのナレッジ提供とか、現場ヒアリングなどのそういった場を作ることによって、やっている本人が一番成長してもらえるということです。やはり人事のプロを作りたいという考えがありますので、座学ではなくて、実践でないとダメなんです。私たちはその実践を具体的に支援しています。
     
    コンサルに頼ってしまうことって多いですけど、あなたがやるんだよ、そのために必要なものは渡すよということですね。
    人事のプロを作りたいとありましたが、それが御社の使命ですか?
     
    そうですね。最終的には、あらゆる人が生き生きと働く社会を作るのが自分たちのビジョンではありますが、大事なプロセスとして、企業内で働いている人たちを元気にするキーパーソンは経営者だけでなく、人事担当も大事な存在だと思っています。人に対する課題を解決するのが人事ですから、ここのレベルが高ければ高いほど、良い組織ができあがると、多くの企業を見てきて、そう思います。問題解決力の高い、リーダーシップのある人事担当がいると、そこの従業員の方が幸せになれる、生き生きと働ける環境が作れるのではないかと思っています。
     
    人材採用の支援というより、採用の後の組織や人事の仕組みについて支援する、というのがミッションになるということですか?
     
    切り口は採用ブランドを作りましょうですが、採用を成功させる要因というのはいくつかありまして、表面的には人を集める力とか人を見抜ける力とかですが、もっと重要なのは、採用ができる会社になりましょうという点です。ここが欠落しているケースが多いので、その点を改善する提案をしています。
     
    採用ができる会社とは?
     
    人が集まって、その人が活躍する会社と定義しています。そうなると採用はすごく楽になりますが、いつまでたっても、どうやったら人を集めるとか人を見抜けるとか、採用の前半部分だけで考えていると、採用はうまくいかないという実感があります。採用ブランド作りというのはイコール、中に入っていくことで、どういった人を採ったら良いのかとか、どうやって育てたらいいとか、どういう福利厚生や環境を作ればいいのかなどで、これらもすべて採用ブランド作りに関わってきます。
    また、一番大きいのは離職。採用しても辞めてしまう組織なのであれば、採用を一旦ストップして、人が辞めない組織にすることが私たちが一番最初に手掛けることです。
     
    そういったこともプログラムの中でやりますか?
     
    はい。そうです。どこに課題があるのかを見つけます。
     
    課題が何かを一緒に考えて見つけて。やるのは本人ということですね。
     
    入り口は皆さん、採用困っている、なんです。
    が、なんで困っているのかの原因は自分達では分からなかったりするので、ここから変えないとうまくいかないですよね、という話し合いをしていきます。
     
    毎年、一番の悩みのところですね。採用は時間もお金もかかりますから。
    分かって取り組むのと、分からないままでやっているのとでは結果も違ってくるのでしょうね。
     
    これも格安ですか?
     
    1回のセッションであれば、月額5万円、多いと月額30万円程度ですね。
     
    なぜ起業しようと思ったのか、なぜ人事関係の仕事をしたのか?そのあたり教えてください。
     
    就職は大学卒業して2000年でした。当時は求人倍率0.96倍という超氷河期でしたね。マスコミの仕事をしたいと考えて、大学ではジャーナリズムとか新聞学を勉強していていました。テレビ局や新聞社など、メディアに関わる仕事がしたいと思っていました。
    ただ、勉強していく中で自分で思っていたのと違うという点があったり、就職が厳しいということもあり、どうしようかと悩んだりもしていました。そんなところに、たまたまDMが自宅に来まして、それが就職した1社目のDMだったんです。
    DMには、クラーク博士の「若者よ、大志を抱け」という言葉をもじって、「若者を大志を持って会社を使え」というコピーが書いてありまして、それが印象的で、面白いなと思って説明会へ行きました。当時10名くらいの会社だったんですが、社員全員が説明会にいたくらい熱心に採用をやっている会社でした。全員の顔も見えましたし、事業内容ではなくて、雰囲気と人に魅了されました。自分で何か成し遂げたいという思いがくすぐられたことが、入社を決めた理由ではないかと今では思っています。
     
    自分達の会社を使え!という意味ですか?
     
    会社を利用しなさい!という意味でした。これが働く上での今のベースになった考えで、誰かに指図されてする仕事よりも、大変かもしれないけど、自分でやる仕事の方が楽しいということを教えられました。
    これを100個売ってこいではなくて、お客様が困っていたら、それを自分で解決するために自分で考えて企画してみろという教育でした。
    大企業に入っていたらダメだったと思います。これをやれと言われたら抵抗を示すと思うので、肌に合っていたと思います。
    その会社ではいつも新しいことをやらせてもらっていましたが、すべてが自分の裁量かというとそうではありません。もっと自分の力で勝負したいと思い、起業しようと思い立ちました。
     
    でもすぐには辞めなかったんです。村尾隆介さんとの出会いが2009年の夏にありました。当時、竹村といつか一緒に仕事をやろうと話していたのですが、竹村から、村尾さんという人がいるから会ってみろと言われて、3人で会ったんです。そこで、村尾さんに独立のことを話したら、「何するの?」と聞かれまして、「採用とか教育だと思います」と答えたところ、村尾さんから、「そんな会社はたくさんあるから、何かしら他の会社との違いがないと、路頭に迷うことになるよ」と。むしろやめた方が良いくらいの話をいただいたんです。
    そんな話の中、これができたらやってもいいのでは?というのがブログでした。採用支援をするなら、採用について徹底的に調べて、世界中の採用手法についてブログを書き、毎週アップしてみては?と。そのアクセスが11000を超えて出版社から声が掛かるくらいになったら起業してもいいのでは?とアドバイスいただきました。
     
    ただ、正直、ハードルが高いと思いました。文章については大学で学んでいましたが、個人的に書くことは好きではなくて、竹村と2人でどうする?と話したのですが、村尾さんの言う通り、何かないと起業してもうまく行かない、と思いましたし、やるだけやってみようと考えまして、サラリーマンをやりながら、毎週水曜日にアップすることにしました。これが私たちのビジネスの土台を作ったと思います。
     
    ただブログを始めて、第7話目くらいでネタが尽きてきました(笑)。採用のネタってどこにも落ちていなくて。だから意識的に自分たちでアンテナ立てておくしかなかったんですね。そして、採用だけにフォーカスしようと思っただけで、今までスルーして文章や資料から、採用とか面接とかって言葉が目に入るようになったんです。マクドナルドの藤田さんなどの偉大な経営者の本には、ほんの少し採用について書いてあるときがあって、そういうものも目に留まるようになりました。。
     
    前職のサラリーマンをしながらやっていたので、ブログには名前も書かずに、匿名でアップしていました。そして誰にも知らせずこっそりやっていたので、最初はアクセスはほとんどありませんでした。しかし1年半くらいしてから少しずつ見てもらえるようになり、2年目くらいからは、取り上げた会社の企業人事からなど、たまに問い合わせがくるようになりました。
    好意的に取り上げていますので、皆さん応援してくださいまして、クレームはありませんでした。前述の株式会社スマイルズさんもこちら勝手にアップした記事を、広報の方が気付いて、そこからお付き合いさせていただくようになりました。こうやって、ブログが縁でつながりが出てきまして、出版化についての話も来ました。徐々に反応が見えてきたのが2年超えた頃からです。
    ネタがないない言っている中、週1回のアップを続けて、2年でやっと芽が出始めたのですが、これをどうやってお金にするかとかは考えていなくて、とにかく、アクセスだけを出すことをやっていました。
     
    高い目標をいきなり立てるのではなくて、まずは自分で決めた目標だけを追ってきたと。
     
    商売っ気が出てしまうと面白くなくなると思ったので、これはあくまで情報提供で、他がやらないくらいやっていこうと考えてきました。
     
    最終的にはどのくらいアクセス行きましたか?
     
    34月は10002000くらいは行くようになりました。平均は700ちょっと程度でした。
    2人でやっていたことで、やり切れたのではないかと思います。お互いに頑張ろう!となれました。これが成功しないと独立できないだろうと2人の間で暗示をかけていましたし、アクセスが増えてくるとやりがいにもなりましたね。
     
    独立したいという強い気持ちはあったんですね?
    問合わせなども増えてきて、いよいよ起業ですが、どんなタイミングで?
     
    会社からOK出たタイミングが2011年の8月だったんです。
    震災がありましたが、それによって、なおさら「やりたいことをやろう」という気持ちが高まったこともあります。
    これからこうしていきたいとブログに書くと、読者の方が反応してくれたのですが、会社を辞めればその人たちにも会えるかもしれないと思いました。
     
    最初の12年は試行錯誤でした。1年間は1人でやっていまして、そこでやっていけるかどうかを判断してから竹村にジョインしてもらった次第です。
    最初は、集客については苦労しました。テレアポなどの方法と取らずに、お客様からお声がけけいただける仕組みをどう作りるかに苦心しました。2人でサラリーマン時代に貯金して、1年目の終わりに銀行から1000万円くらい借りて、それがなかったらつぶれていたのではないかと思います。
     
    銀行も事業に魅力を感じたんですね?
     
    そうですね。今までないことをやろうとしているところにお金を出してくれた感じですね。
     
    毎日悩み、試してはやめて、の繰り返しでしたが、長いこと続けられたのが、コヨーテクラブでした。創業して半年でサービス開始したのですが、ブログの読者の方が最初に来てくれたのが嬉しかったです。今でも来られますが、そういった方に会えたのが嬉しく、ブログを読んで仕事に生かしてくれている方には、最大限貢献したいと思っています。それが原動力です。テーマを考えたりゲストを呼んだりなど、本当に大変ですし、収益面でもギリギリ黒字というものなんですが、やり続けられているのは、そういった方がいるからなんです。
     
    大きな柱ですよね。儲かる儲からないの話ではなくて。
    3年目くらいからはどうですか?
     
    3期目にして黒字を出して、さらに成長してきたいという想いです。
     
    最終的にこれからはどうしたいですか?
     
    一杯あるのですが、やりたいことのひとつは、中小ベンチャー企業の支援です。特に人事担当がまだ1名程度だったり、経営者が人事を兼ねているような小さな会社の力になりたいと思っています。実は、私の経験でもあるのですが、10名ぐらいの組織から30名、100名となる過程って、本当に変化が多いのです。だって、組織が3倍、10倍ですからね。そうした成長を下支えする人事戦略は、かなり重要だったりするのですが、そこに人事専門家はなかなかいません。そうした会社に、私たちの力が活きればと思っています。
     
    また最近は、地方で講演をすることがありまして、地方特有の採用課題にも興味があります。地方の採用課題解決は、地方の雇用確保や地域活性にも繋がるので、そういったことに貢献していきたいと思います。
     
    採用の一瞬のタイミングだけではなくて、会社の姿勢を本物にしていこうという意欲が強いんですね。
     
    良い会社だけどその良さがきちんと磨けていない、伝えられていないというところが多いです。中小企業さんの場合、それが顕著で、学生さんや中途さんには伝わっていないですね。うちなんか来ないよね、という企業さんも魅力的なところはあって、こうやれば良いのにというのがあるんですが、客観的に見ないと分からないんですよね。
     
    従来通りの採用のやり方を続けていると、同業他社と比べる機会がなかったり、応募者のの立場になっていなかったり、独りよがりになってしまったりなど、もったいないケースありそうですね。そういったことを見つけてあげたり、助言したりするんですね?
     
    そうですね。採用活動は、マーケティング活動と似ていると思っているのですが、入社して活躍してもらうというのは、商品を買ってもらうという一時的なものではありません。入社を決めた方がファンであり続ける、という視点が大切です。ですから、採用を変えていくことは、実は社内を変えていくということにもつながっていきます。またターゲットを考えると、応募者とお客様は違う場合、お客様に渡すパンフレットと応募者に渡すパンフレットは同じではないはずです。
    パンフレットはお金をたくさんかけて作らなくても、内容と渡すタイミングで応募者の印象に残ったりします。ちょっとした工夫で全然反応も変わってくるのです。
     
    これは難しいところですね。気付いていないのか、分かっているんだけど直せないのか、っていうのがありますね。外から言ってもらうとそうなのか、って思いますね。応募者も言ってくれませんからね。
     
    そうですね。言えませんね。
     
    でも感じますもんね。色んな会社見てますからね。どんな扱いを受けるとか、入社してからの境遇を重ね合わせますもんね。
     
    そうですね。応募者は、文句を言うとかではなくて、次来ないとか、内定をもらっても受け取らないとかという選択をしますね。
     
    村尾隆介さんのアイデアで、肩書きで「世界の人材採用研究家」と謳っていたのが、功を奏しているところがあって、ブログで見つけてきてくれるんですが、マスコミの取材を受けたりとかします。採用前線どうなったとかです。名乗ることによって、自分が研究家でいなくてはいけないという、使命感を勝手に植えつけることができています。
    一昨年はシンガポールに行って、昨年はサンフランシスコに行って、現地の企業訪問などをし、最新の採用トレンドや考え方、これを日本だけでなくて世界の研究家として、ワールドワイドにやりたいなと思います。おかげさまで、このポジショニングでは私が最初だったので、常にその意識を持っていないといけないんです。研究家なのに知らないってわけにはいかないので。
    採用の仕事を十数年やっていて、世界を知れば知るほど日本の採用って特殊で、よくグローバル企業の人事の集まりなんかに行くと、日本の人事担当の話が理解できないと皆さん言います。
    新卒は1万人集めて10人採用するというのが日本の大手ですが、世界のトレンドで言うと、例えばアメリカ・ヨーロッパでは、それって人事担当者の能力低いんじゃないか?と思うそうです。プロは、この10名良いっていう人を連れてくるのが仕事だと。スタンスが違いますね。日本では、経済成長の時代背景に沿った採用だったということもあると思いますが、海外では新卒・中途の概念がないので、とにかく優秀な人を採るというのが採用です。集めた中から採用するのが日本で、欲しい人材を採りにいくというのが海外です。
     
    中途でも、学生でも、種を見つけておくのですかね?
     
    そうですね。そういうネットワークを作っておいたりしますし、また、求職者側もアクティブなので、サイトで見つけて応募するのではなく、自分で企業を見つけて、先輩に教えてもらって、自分でオファーレターを出すとか、お互いが肉食系ですよね。
     
    なぜ海外を調べるかというと、日本も右肩上がりの経済成長が終わってきて、それに応じて雇用の形が変わってきていて、今まで通り大学生全員を受け入れることができなくなってきています。今で言うと、5人に12人は就職できないですよね。
    で、企業は本当に優秀な人を自分たちで採りに行くという、徐々に欧米型にシフトしつつあります。
    今までは海外のやり方は関係なかったですけど、これからは参考になるだろうなと思っています。海外はそのあたりの研究が進んでいるんです。
     
    夢の2つ目3つ目は実現しつつありますね?
     
    そうですね。やっていきたいですよね。
     
    最後に何かありますか?
     
    最近ブログの更新頻度は落ちているのですが、週に1回、メルマガを発行しています。そこでも採用や組織に関する内容を発信しているので、是非登録いただいたイです。また、個別にお困りの採用や人に関わる課題があれば、遠慮なくお声がけいただきたいですね。(info@coyo-te.co.jp)。話していて自分の頭も随分整理されました。大角さん、素敵な機会をいただき、ありがとうございます。

    【大角所感】
    人事採用は企業にとって一番大事なインプットであり、同時に全てのアウトプットの源泉になることだと考えています。菊池さん率いるコヨーテさんのような素晴らしい提案をして頂けたら、もっともっと採用側も応募側もミスマッチなく社会に貢献して頂けるものだと言う事が良くわかりました。これからも是非日本の雇用で最前線でご活躍下さい!このたびは本当に素晴らしいお話をお聞かせ頂き、ありがとうございました。


    菅生周作さんにインタビュー(Volume75)

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       情熱インタビュー75人目は、東京都立川市の立川駅前で『和ごころでもてなすヘアサロンcocoro』を経営される菅生周作さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

      和でもてなす 

      −まずは菅生さんの経営される美容室『cocoro』について教えてください。

      今年で3年目を迎えた立川駅に近い美容室です。私たちが目指していることは、単なる髪をセットする美容室ではなく、ヘアデザイン・ヘッドスパを通して外見も内面もキレイになり心から幸せになって頂くことです。

       

      −お店の紹介に『和ごころでもてなす』とありますね。こうやって見回しても、とても落ち着く感じの和の雰囲気となっていますね。

      私たちの提供する『和』の雰囲気は、日本の心と、おもてなしを大切に考えてイメージしています。美容室なので美容に関する技術力はあって当たり前なのですが、お客様がいらした時にくつろげる空間になることを目指しました。

       

      −細部までこだわりが感じられますね。

      お店を設計するときにデザイナーさんと、五感で感じる空間演出をテーマに何度も打ち合わせをしながら作り上げてきました。

       

      −何故菅生さんは和にしようと考えたのですか?

      前職のサロンを退職してから、シンガポール、ベトナム、中国、タイ、マレーシア、カンボジアと東南アジアを旅したんです。日本から外に出た時に、改めて日本の良さ、特におもてなしに関する素晴らしい点を理解しました。それをお店のコンセプトにしようと考えたことがきっかけです。

       

      −海外から日本を見直すと良い部分も悪い部分も含めて良くわかると言われますよね。

      はい。他にも、大人の女性がゆっくりくつろげるお店作りを考えていたんです。そういう雰囲気の美容室って、この立川近郊のエリアにはないと感じていたんです。落ち着いてくつろげるお店で長く通って頂きたいなと考えました。そして常時、ヘッドスパマッサージができるスタッフがいることも特徴のひとつになっています。

       

      ボクシングとの出会い

      −それでは、少し遡って、菅生さんの10代の頃のお話を聞かせていただけますか。

      高校に入った時に、畑山隆則選手の試合を見たことと、強くなりたいという思いからボクシングを始めました。どんどんボクシングの世界にのめり込みまして、将来はプロで活躍できたらいいなと思い始めたんです。

       

      −これは部活ではなくてボクシングジムなのですね!?

      実は、高校の時にはボクシング部も立ち上げたんです。インターハイ出場を狙っていたんですが東京都の決勝の時に計量で体重がほんの僅かにオーバーしてしまいまして、その夢は経たれました(笑)。それが3年生の夏で、それからプロに転向しようと決心しました。

      【プロ2戦目 連勝!】 

      −ボクシング一筋を目指そうと思われたのですか?

      いえ、理容室を経営する父からは、ボクシングも良いが他にもちゃんと仕事ができるようになった方がいいと諭され、高校を卒業すると同時に理容学校と美容学校の2つの学校に通いながらボクシングジムにも通う生活が続きました。

       

      −それは大変ですね。2つの学校に通いながらボクサーとしての試合もあるんですよね。特にどんな点に苦労されましたか?

      そうですね、試合が2ヶ月に1度のペースであるのですが、腫れた顔で学校に行ったり、疲れてしまってなかなか勉強が頭に入らないこともよくありました。ボクシングジムも、多くの世界チャンピオンを輩出する協栄ジムに移り、19歳でプロデビューすることができました。その後、引退する21歳までに8戦を戦いました。

      【プロ3戦目 後楽園ホールにて】

       

      −ボクシングから一旦身を引いたのはどんな思いがあったのですか?

      21歳までにチャンピオンになれなければやめると決めていたんです。結局、4回戦C級から、6回戦B級にステップアップしたのですがそこまででした。

       

      美容業界に…

      −その後は美容の業界に進んでいくのですね。

      はい。その後、埼玉にある全寮制の体育会系美容室で働きました(笑)

       

      −体育会系ですか?(笑)

      はい。厳しい美容室でしたが、勉強になりました。1年半務めたのですが、将来独立するために、どうしても都内で仕事をしてみたかったので、23歳で銀座のお店に移りました。

       

      −銀座のお店はどうでしたか?

      経営者の方が多く、とても勉強になりました。それに活気というかパワーを感じるんですね。

       

      −それはどういう時に感じるんですか?

      私たち銀座の美容室に勤める人間は、様々な地方からカバンひとつで人生をかけてくる人たちばかりなんです。また立派な経営者の方たちも、全国から勝負をしに東京に出てきた方たちが多く、その多くの方たちは成功を収めているんですよね。そう言う意味で力がみなぎるというかパワフルな空間だなと感じることができました。

       

      −本気の意識が高いんですね。そこでどのくらい勤められたのですか?

      6年間お世話になりました。この6年間は刺激を受ける人との出会いもたくさんありました。ブランディングを学ぶきっかけとなった村尾隆介さんとの出会いも、実はこのお店だったんです。

       

      −そうですか?村尾隆介さんのブランディングのセミナーを通して、私も菅生さんと知り合うことになったことを考えると、人との出会いやご縁というのは大切ですよね。さて、いよいよ独立に向けた取り組みを開始される時期になってきたのでしょうか?

      6年間お世話になったお店を29歳の時に卒業したのですが、元々29歳という年齢目標は掲げていたんです。少しは自信もついてきた頃です。

       

      旅立ち〜起業独立

      29歳。まずは辞めてどこからスタートされたのですか?

      まずは旅に出たんです。どんなサロンにしようか?どこに店舗を出すか?そういうことを考える旅です。

       

      −何故、日本ではなく東南アジアで考えようと思われたのですか?

      東南アジアに元々興味があったというわけではなく、たまたまでした(笑)。マレーシア、ベトナム、中国、カンボジアを見て回り、現地でビジネスをしている日本の友人に相談した時に、『やりたいことをやりたいようにやればいいじゃないか』と言われたんです。実は当初、出店先は日本に限らず海外も視野に入れていました。しかし、いろいろと考え、まずは地元でもある立川で勝負してみようかと思い始めたんです。

       

      −その後、シンガポールやタイなどにも行かれたわけですよね。アジアの国を廻ってみてどうでしたか?

      まず、自分が知っている世界の狭さにびっくりしました。また、日本は恵まれているということ。そして、チャンスは平等にあるということを実感しました。

      【カンボジアでのヘアカット】

      【世界一と言われるカンボジアの夕日】

       

      −そしてこのお店を立ち上げられたのですか?

      お店を探している時に、ちょうど東日本大震災が起こり、最終的には1年待ってから、2012310日にここでお店を開店させました。

       

      −事業を始めるとなると、経営にはつきものの財務面のご苦労もされたと思うのですがいかがですか?

      貯めてきたお金だけでは難しいので、地元の信用金庫さんに相談にのってもらいお世話になることができました。経営者としての実績も何もない私を信用してくれ、融資してくれることに感謝しています。

       

      −おそらく情熱が伝わったんだと思うのですが、どうやってその思いを説明されてきたのでしょうか?ここは将来起業家を目指す若い人たちにもとても大事な部分だと思うのですが、ぜひ聞かせてください。

      はい。まずは目指すターゲット層、つまり大人の女性に対するアンケートを行いました。ここ立川で美容室に通っている大人の女性の方たちは何を思っているのか?何を求めているのか?まだ実現できていないことは何か?このアンケート結果から出てきた答えは、“くつろげる美容室・落ち着く美容室がない”ということでした。ガヤガヤしてうるさい。マッサージが下手…など多くのお客様の声から、自分の目指す店づくりを行ってきました。

       

      −マッサージが下手ということも考え、ヘッドスパマッサージが専門に出来る人もここにいるわけなんですね。

      はい。そうなんです。金融機関に対しては、そんなアンケート結果から導き出した計画を詳細に立て、なぜここに普通より高い装飾を施さなければならないのか?なぜ細部にまでこだわるのかを徹底的に説明しました。

       

      −髪を切ったりセットしてもらったりするだけではなくお客様を交えた交流の場も作っていると聞きましたが。

      cocoro collegeという名前で、現在は年4回の勉強会を実施しています。題材は例えば『正しい頭の洗い方』、『頭皮の正しいケアの仕方』、『スタイリング・レッスン』など、私やスタッフが講師となってお客様とのコミュニティーを作っています。

       

      美容師さんが安心して働ける場をつくる

      cocoroが次に目指すことについてお教えください。

      お店を始めた理由の一つに、美容師さんが安心してきちんと働けるお店を作りたいということがあります。美容室の95%は個人事業主です。私自身が経験したのでよくわかるんですが、休みは週に一度だけ。朝早くから夜遅くまで働かなければならない環境など、美容師にとって美容室業界は結構過酷な状況なんです。だから入ってもすぐに辞めてしまう人も多いんですね。

      こんなに素敵な仕事なのに労働環境の悪さで人が育たないというのはもったいないと思うんです。まずは自分の美容室を法人化して、きちんと社会保険に入ってもらうことから始めました。ただ、そうすると収益面もきちんと確保しなければなりません。現在は模索しながら進んでいるところです。一般の会社と同じようにしていきたいんです。楽しく働いてもらうことを目指したいんです。スタッフが気持ちよく働けることで、お客様にも気持ちよくなっていただけるものと信じています。

       

      −素晴らしいですね。世の中に多くの美容室がある中で、菅生さんと一緒に働けるスタッフの方たちは幸せですね。

      心からそう思ってもらえるサロンを目指します。

       

      −他には目指していることなどはありますか?

      そうですね。模索中ではありますが、髪を中心としたヘアサロンから、髪だけではなくライフスタイル・プロデュースみたいなことがチーム運営できる会社を目指したいと思います。お客様のライフスタイルを支える役割です。例えば、『食』や『健康』などもキーワードになるかもしれませんね。ただ、思い込みではいけないので、やはり大人の女性の方たちが考えていること、お客様の声を大切にお聴きしていきたいと思います。

       

      −ありがとうございました。美容室という枠を超え、広い視野で捉える菅生さんの視点は同じ経営者としてとても勉強になりました。

       

      【大角所感】

      新たな事業を創造する上で一番大切なことは、顧客の声を聴くことだと教わったことがあります。菅生さんはお店作りにおいても、またこれから目指す社会的意義と貢献度の高い事業においても、この基本的事項を本当に丁寧に扱っていらっしゃると感じました。

       

       自分が何か新しいことをやろうとするとき、どうしても独りよがりになってしまったり、周りの意見を聞き入れず頑固になってしまい柔軟性を失うなんていうこともあるかと思います。でも、菅生さんは、自分の軸を大切にしながらも柔軟性に富み、お客様のことを真剣に考える素晴らしい経営者なんですね。だからこそスタッフの幸せや笑顔の大切さも知っている。ご自身が経験してきた様々な辛いことや苦しいことをバネにチャレンジし続ける菅生さんにエールを送るとともに、一緒に学ばせていただいていることを誇りに思います。


      加治木里紗さんにインタビュー(Volume74)

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        情熱インタビュー第74号は加治木里紗さんです。加治木さんは、株式会社イベントレンジャーズのブランド・マネージャーを務めています。将来の夢はかっこいいママになること。今年になってご結婚もされ、大変な仕事との両立をするなど、まさに目標に向かって着々と成果をあげるビジネス・パーソンです。そんな加治木里紗さんのインタビューを開始したいと思います。

         

        −まずは、イベントレンジャーズさんがどんなお仕事をする会社なのか?そのあたりから教えていただけますか?

        大きく分けて3つの事業があります。まず最初にイベントコンサルティングのお仕事ですが、これはセミナーやイベント、シンポジウムなどの企画から運営までトータル的にお手伝いさせていただくお仕事。二つ目は、セミナー開催時などの事務局の代行サービス。そして三つ目の事業は、イベントストアと言いまして、イベントに必要な機材等をお貸し出しするサービスです。

         

        −そのような会社の中で、加治木さんはどんな役割を担っているのですか?

        はい。私は、事務局代行とイベントストアの仕事を行いながら、会社のブランド・マネージャーも努めています。

         

        −ブランド・マネージャーですか?それはとても責任重要なポジションですね。

        当時、弊社の社長は広告関連業界の先行きは、決して明るいものではないと危機感を持っていました。受身ではなく、時代を先読みし、変化を起こしていかなければ!と。

        そんな背景もあり、私のブランディングを勉強したいという申し出にOKを下さりました。

         

        −そこで村尾隆介さんのブランディング・セミナーに通い始めたのですね。

        はい。そのことが会社を変えていくことのきっかけになり、助けになりました。これから生き残るためには、単に請負の仕事を待つだけではだめで、どんどんこちらから発信していく会社にならなければならなかったのです。ですので、思い切った2社の合併、社名の変更、そしてブランドイメージの刷新にも着手していきました。

         

        −今まであったものを突然変化させていくことって簡単ではないですよね。

        はい。社内でも多くの抵抗がありました。『今までのままでいいじゃないか』、『名刺のデザインを元通りにして欲しい』などなどたくさんありました(笑)。でも、世界観を統一するためには、全員でやり遂げなければなりませんので、社長を始めブランディングチームとしては、何とか理解してもらおうと必死でした。

         

        −浸透させていくために特別なことをされてきたのですか?

        他社のブランド・マネージャーの方に相談しました。『何をやるにも、批判はつきものだし、心が折れそうになる時もあるけど、信じてやっていれば必ず外部から認められてくるよ。』と応援していただき、とても心強くなりました。

         

        −外部ですか?

        例えばこんなことがありました。どうしても二つ折名刺に抵抗を持つ人がいたのですが、ある日自分が尊敬しているお客様にその名刺を大変褒められたそうです。それから徐々に「あ、これもありなんだ!」と自信がつき、考えを変えてくれたことがありました。

         

        −人間は、現状維持しようとする安定を好む動物で、新たなことをするのに拒否から入ってしまうのは仕方がないということを聞いたことがあります。でも成功の積み重ねでブランド・マネージャーとしての信頼も築いていったのですね。

        それが当たり前になってしまえば、反対していたことさえ忘れてしまうこともあると思います。

         

        −他には成功させるコツはありましたか?

        そうですね、当時会社の中でも私が一番年下でしたので、なかなか伝える時に難しいという場面もありました。そういう時はうまく社長や上役の方から伝達して頂きました。まだあまり得意ではないですが、伝え方はとても大事だと思います。誰から伝わるか、どんなタイミングで、どんな方法で伝わるか・・・

         

        −ブランド・マネージャーだけの責任にせず会社のトップと一丸になってリブランドをするという現れですね。

        非常に心強く、助かりました。

         

        −少し加治木さんの内面にも触れてみたいと思いますが、イベント関連の仕事に着くまでのご自身の歴史についてお聞かせいただけますか?

        実は、私は法律家になりたかったんです。大学の法学部に入り司法試験を目指していました。法律相談部という部活にも入っていまして、現役の弁護士の方と一緒に一般の方々の相談にのるという活動をしていました。泥沼離婚劇だったり、大変な詐欺被害にあった事件ですとか、とにかく色々な案件を担当しました。貴重な経験で何よりの勉強になりました。しかし、そういう案件に関わることによって私も被害者の方と一緒になって落ち込むことも多かったです。

         

        −大変な被害に遭われた方の気持ちになって考えることができる優しさを持っているからでしょうね。

        でもあるとき気づいたのです。そういう案件に関わりながらも、周りのメンバーたちの中には『この案件はとても面白いね!』、『やりがいがあるね!』と目を輝かせている人がいるのです。こういう人たちが法律に携わって行くのだろうなと思い、私はこういう仕事に向いていないかもしれない、もっと視野を広げてみようと思い始めました。

         

        −使命感をどこで感じるか、人によって違いますからね。

        それから、法律は法律でも、法政策の分野を知るために議員インターンをはじめました。

         

        −議員インターンですか?

        はい。東京都の杉並区の区議のお手伝いをさせて頂きました。

         

        −具体的にどんなことをされたのですか?

        主には商店街の町おこしのお手伝いをしました。シャッター通り商店街になってしまった元気のない商店街の活気を取り戻していくというプロジェクトです。経営的な仕組みも変えましたが、お客様目線での大きな変化は商店街をまるごと“沖縄”というテーマで統一化したことです。ロゴ、町の雰囲気、流れるBGM、外装、出店店舗、商品、言語、イベント内容、食品、等々・・・。今思えば、それこそ商店街の“リブランディング”でした。

         

        −どんなことを学ばれたのですか?

        このプロジェクトを通して、学んだことは、大きなプロジェクトへの人の巻き込み方です。区議会委員さん、地域住民の方々、ボランティア、アーティストさん等々、本当にたくさんの方が関わっていました。たくさんの方に賛同を得られるために必要な要素はこのとき学んだ気がします。

        プロジェクトが進むにつれて、最初は頑なで、わたしたちにも決して好意的ではなかった商店街の方たちの表情が、少しずつ少しずつ変わっていきました。リニューアル・オープニングイベントの前日、70代くらいのお店のご主人が『人生、生きていた中で今が一番楽しい』と言って下さったことが今でも忘れられない思い出です。

        大変な努力の日々が報われた瞬間でした。

         

        −その後どうですか?

        インターンシップの期間は1年ぐらいでしたが、今でも時々遊びに行きます。元気なみなさんの姿が見るのがとても嬉しいです。

         

        −その後就職されたのですね。

        コンサルティング会社に就職したのち、転職して現在の会社に入りました。

                         

        −それでは、今後の加治木里紗さんの歩む道についてお教えください。

        1つはストレスケア・カウンセラーの資格を持っていますので、これを生かせる活動が少しでもできたらと思っています。社会貢献活動の1つとして。もちろん今の仕事を続けていきながら、そこにプラスしていくことができたらと思っています。

        「個人と組織の活性化」がわたしの2030代のテーマかもしれません。実際、大学3年の就職活動の時から言っていましたし、そこはブレてないですね。

        そして、いつかもしも子どもを授かることができたら、「ママみたいにかっこいい大人になりたい」と言われるのが夢です。

         

         

        −ありがとうございました。これからもブランド・マネージャーとしてのご活躍を期待します。また、加治木さんの夢が叶いますよう応援しています。

         

        (大角所感文)

        ブランド・マネージャーの仕事は、簡単ではありません。その会社のイメージを作り出し、定着させ、成果をあげるまでの責任を持たなければならないからです。言ってみれば経営トップの代役といってもいいでしょう。そんなブランド・マネージャーを若くして、また男性の多い業界社会の中で引き受けていった加治木さんの苦労は計り知れないものがあります。しかし、同時に、いつも笑顔でパワフルな原動力を持つ加治木さんだからこそ、この仕事をやり遂げてきたのだと私は思いました。これからも是非ブランドを高める仕事を通して、そこに憧れを抱く若手に夢を与えてください。インタビューをさせて頂き、ありがとうございました。


        寺崎泰平さんにインタビュー(Volume73)

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           情熱インタビュー第73号は、有限会社テラグレイス代表取締役の寺崎泰平さんにご登場頂きます。テラグレイスさんは、メガネのパリミキのフランチャイズとしてさいたま市浦和区にて店舗経営をされています。

           

          メガネを売るのではなく、ブランド力アップを売ってます

          −それでは、まずは寺崎さんのお仕事について教えてください。

          私たちはメガネを売る仕事ではありますが、単にメガネを販売するのではありません。お客様のファッション性を高めたり、第一印象により好感度を上げたり、ブランド力をアップさせるのが私たちの仕事だと考えています。

           

          −メガネが商品の中心なのですね。

          メガネの他に補聴器を扱っています。こちらは目立たせないものなのでファッション性というよりは、機能的に使っていただく物をご提供しています。

           

          −仕事上どんなことが大事だと考えていますか?

          メガネは一度買ったらそれっきりというものではないので、お客様と一生お付き合いしていくための信頼関係を築き、それを継続していくことが何よりも大切だと考えています。そしてもう一つ、“見えること”、“聴こえること”で社会貢献をしているという気持ちもテラグレイスでは大切にしています。

           

          −テラグレイスという名前の由来はどこから来ているのですか?

          自分で考えた造語なのですが、“テラ”は、地球、大地、万物という意味と、私の苗字の寺崎にもかけています。“グレイス”は、優雅、美的、感謝などの意味で、これをかけあわせました。これら全てのものに感謝する心を忘れないようにと命名しました。

           

          暖簾分けの制度を利用

          −それでは、寺崎さんがこの仕事をすることになるきっかけについてお聞かせください。

          22歳で大学を卒業して以来ずっとメガネと関わってきました。自分では“メガネバカ”だと自負しています(笑)。最初はメガネのパリミキで12年間サラリーマンとして働いてきました。店長としてお店を任されてはいたのですが、この先何を目指していったらよいのか分からなくなった時期があったんですね。そんな時にパリミキが用意してくれたのが『暖簾自立制度』というものだったのです。

           

          −のれん自立制度ですか?

          はい。パリミキは全国で1,000店舗を超えていた規模だったのですが、その店舗の中から独立店舗を選ばせてもらえ、創業を後押ししてくれるシステムなんです。でも、本社としては『創業の苦労を知りなさい』という教育的な精神も含んでいるので、具体的な指導やアドバイスはしてくれますが、大事な部分は全て自分がやらなければなりませんでした。でもこれがとても良い経験になりました。

           

          −創業時には資金集めなども必要ですよね。

          それまでずっとサラリーマンでしたので、お金のことなんて売上や利益のことぐらいしか考えたことがありませんでした。銀行に行ってお金を借りるということがどれだけ大変かということを身をもって知ることができました。でも、お金の問題よりも心配だったのは人のことです。

           

          −人というと?

          暖簾分けというのは、既存の直営店を譲ってくれるシステムなんですね。私の場合は33歳から2年間研究して本社とも協議を続け35歳で浦和店を暖簾分けしてもらえることになったのですが、そこで既にパリミキの契約社員として働いている人を、自分の会社に転職してもらわなければなりません。

           

          −そういう制度なのですね。

          つまり東証一部上場企業の会社に勤めている人に対して、いきなり小さな有限会社の社員になってくれということなんです。でもありがたいことに、そこで働いていた二人とは信頼関係が築け、すぐに社員になってくれたんです。

           

          パリミキとの出会い

          −寺崎さんの人徳ですね。そんな寺崎さんを作った入社前のお話をお聞かせいただけますか?そもそも何故メガネの業界に就職したのでしょう?

          大学生の時に交換留学生制度に申し込んだところ運良く選ばれまして、米国ソルトレイク州にあるユタ大学という学校で2ヶ月を過ごしました。初めての海外生活に、何もかもが新鮮で楽しい日々を送ることができたんですね。そういう経験をしたので、就職するなら海外勤務ができる会社を選ぼうと思ったのです。

           

          −素晴らしいですね。アメリカに留学なんて憧れます。

          もともと私は人と接する仕事がしたかったので、販売や接客ができる仕事を目指して面接を受けていました。いろいろな会社の面接を受けていたのですが、何故か株式会社三城だけは感じが違うんですね。何が違うかというと、私の話を真剣に聞いてくれるんです。そしてどんどん自分の中にあるものが引き出されていく感覚になったんです。面接だからと格好をつけるわけでもなく、飾らない本来の自分をどんどん出すことができたんですね。面接官の方の引き出しが上手だったせいもあるのでしょうが、こういう会社で働いてみたいと思いました。

           

          −最終的にそちらに就職されて、海外勤務なども経験したのですか?

          いえ、結局行きませんでした(笑)。仕事を覚え、資格を取り、店長を目指している過程のうちに“独立”ということが見えてきたので、海外ありきではなくなっていたんですね。チャンスはもちろんありましたが。

           

          −メガネが好きというお話がありましたが、そもそもメガネには興味があったのですね!

          メガネというか、子供のころからレンズが好きでしたね。虫眼鏡で昆虫や植物を観察することも好きでしたし、望遠鏡で土星の輪に感動したこともありました。レンズって不思議で、そして面白い世界だな〜って思っていました。

           

          −普段見えないものが見えるのもレンズ、メガネの役割なのですね。

          ただ見るのではなく、きれいに見ることができたら素晴らしいと思いますし、より見えることができたら嬉しいですよね。将来的には、現在では目に見えないものが見えるメガネなんかも開発されるかもしれません。

           

          富士山頂からの暑中見舞い

          −少しメガネの話から逸れますが、寺崎さんは毎年富士山に登られていますよね。富士山は、一度は登ってみたい山と言われていますが、二度と登らない人と毎年登る人に別れますよね。私も後者ですが、寺崎さんは何故毎年登られているのですか?

          直営店の店長から誘ってもらって行ったことが最初のきっかけでした。富士山にはいつか行ってみたいなと思っていたので、声をかけてもらってすぐに返事をしました。その最初の登山の時に見た星空と流れ星に感動しました。もちろん登っている最中はとても辛く、すぐ高山病にかかってしまうんです。でも、頂上に立った時の達成感は忘れられませんね。

           

          −夏に寺崎さんからいただいた暑中お見舞いは富士山頂上の消印のものでしたね。

          頂上には郵便局があるとあるお客さまからお聞きしたんです。それを聞いてお世話になっている方への暑中お見舞いは毎年富士山の頂上から投函しようと決めたんです。

           

          −何枚ぐらい出されるのですか?

          だいたい400枚ぐらいです。結構重いですが(笑)。

           

          −それは喜ばれますよね!貴重な暑中お見舞いのはがきですね。

          それがきっかけでお客様との新たなコミュニケーションも取れますし、ある意味DMです。

           

          −心のこもった最高のDMですね。今は何年目ですか?

          私は今年登れば9回目、できれば10年は続けたいですね。私が目指す店舗は、メガネを売るだけではなくコミュニケーションの場としても利用していただきたいので、富士山情報は最高の話題です。

           

          テラグレイスは永遠にお客さまから愛される会社に!

          −それでは将来の目標や夢についてお聞かせください。

          いろいろありますが、まずは自分の中で究極のライフスタイルを描いています。まだまだ先ですが、ある歳になったら引退し、どこに住んで、どんな生活をするかを心の中で決めています。そのためには、会社を安定させる必要がありますね。テラグレイスというお客様から愛されている会社はずっと継続していきたいと思いますので、そのためには事業継承や社員教育、自己啓発などにも力を入れ続けて行きたいと思います。

           

          【大角所感】

          寺崎さんとは、数年前にブランディング・セミナーの会場でお会いしました。それ以来、富士山のお話や異業種交流会を主催されているお話など多くのことを勉強させて頂きました。その将来を見据えるメガネの奥の目の輝きと、前向きな笑顔にいつも大切な物を学ばせていただいています。

           そろそろ小さい文字が読みにくくなってきた昨今、寺崎さんのお店で今度はメガネについてのアドバイスを頂きに参りたいと思います!


          えいごのあき先生にインタビュー(Volume72)

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            情熱インタビュー第72号は、“えいごのあき先生”こと磯野史明さんにご登場頂きます。あき先生は、フリーランスの英語の先生として、千葉県を中心にご活躍されています。何故“英語”なのか?何故“史明(ふみあき)”さんなのに“あき”先生なのか?そのあたりもインタビューしたいと思います。

             

            −まずは、あき先生のお仕事についてお聞かせ願えますか?

              はい^^ 僕はフリーランスの英語の先生です。“えいごのあき先生”という名称で、千葉県を中心とした市町村の生涯学習講座や、小中学校に招かれて英語の授業、文化的な指導を行っています。また英語の受験対策、検定対策の講座も指導しています。

             

             

            −それでは少しずつ掘り下げてお聞きしたいと思いますが、まず小学校や中学校の授業を担当されるということですが、これはどういう内容なのでしょうか?

            千葉県の特別非常勤講師という名目をもらっていまして、これは英語だけではなく音楽や水泳など、小中学生の役に立つようなことを指導する役割の先生なんです。基本的には学校から呼ばれて週に2回程度の授業を行います。

             

             

            −教育者なんですね!

              僕自身は、“教育者”といったような、かしこまった堅いイメージではなく、エンターティナーやパフォーマーだと思っていますが(笑)でも“教育者”と言って頂いて嬉しいです!


              

             −生涯学習講座についてもお教え頂けますか?

             市町村が開催する生涯学習講座の英会話クラスの講師を勤める仕事なのですが、小さなお子さんからおじいちゃんおばあちゃん(5さい〜85歳)まで幅広く通ってくれる楽しい講座になっています。

              

            −それから対策講座はどのようなイメージでしょうか?

            はい。会話や、受験対策、英語検定への指導など1対1での指導から、1対10+といった教室形式のものなど、生徒さんの要望をカスタマイズして授業をしています。

              

            −素晴らしいですね。『英語』というと私にとっては“難しいもの”だったり、“ビジネス”的な要素が強いイメージなのですが、あき先生のご活躍されているところでは、社会貢献的意義が高く、また楽しそうな感じが伝わってきますね。

             僕は留学経験者なのですが、留学先では僕が今やっている地域密着型の活動を仕事としてやっている方がたがたくさんいたんですね。生涯学習講座のようなものなどを地域の方たちが協力しながら運営していたりして。そういった活動をいつか日本で僕もやってみたいなと思ったのが今の僕の教育スタイルのもとになっています。

              

             −それでは、あき先生がこの道に入るために影響を受けてきた頃のお話からぜひお聞かせください。

             “教育”ということに憧れた最初のきっかけは、『きみはダックス先生がきらいか』(灰谷健次郎著)だったんですね。この著書を漫画版にしたものが、雑誌『小学一年生』に載っていたんです。自分が小学1年生の時にその先生に憧れたのがきっかけでした。その後、中学3年生の時に英語の教科書で出会った『ペンギンパレード』という話がきっかけになり、英語が好きになりました。ただ、中学3年生ですからちょっと目覚めるのが遅かったんですね。

              

             −中学生で勉強が好きになること自体が素晴らしいと思いますが(笑)

             教科書って素晴らしいなと思ったんです。ただ、あまりにも勉強をしなかったために、滑り止めの僕立高校は不合格となり、ランクを落として受験した公立高校は『スクールウォーズ』のような学校でした(笑)。

              

            −荒れた時代がありましたよね。

            そういう学校でしたので、最初僕もせっかくなので『不良』になろうと思ったんです(笑)。でも、ある日校内放送で職員室に呼び出されたことがきっかけで、僕の運命が変わってしまいました。

             

            −職員室から呼び出しですか?

              はい。校内放送で『ピンポンパンポン〜♪磯野史明君、職員室まで来なさい。』みたいな感じで呼び出されたんですね。なんだろうと思って職員室に行ってみると、英語の千葉先生だったんです。後から思えば僕の人生を変えた恩師です。『君は入試の時の英語の成績がよかったから、英語部に入りなさい』と、半ば強制的に英語部に入部することになってしまったんですね(笑)。

             

             −英語部というとどんな活動をするのですか?

              地味な部でしたが(笑)、例えば先生と英語の交換日記をするんですね。完璧だと思って提出すると、真っ赤に訂正されて返ってくるんです。他にも、英語のスピーチコンテストに出場させられた思い出もあります。嫌で嫌で仕方なかったのですが、いざ練習してスピーチの舞台に立ってみると意外に気持ちがよかったりと、英語部は僕にいろいろなことを経験させてくれたんです。何か自分の殻を一つ一つ破っていくような感覚だったんです。

              

            −自分自身を変えていくような感覚なのですか?

              それまでの自分は、外に出ていくというよりは仲間内だけでつるんで遊んだりすることが好きで、新しいことにもあまり積極的ではありませんでした。でも、“英語を使って外に対して表現する”ときには、自分の性格が普段の自分と違うような感覚になってきたんです。この何だか不思議な感覚を持ちつつ英語の勉強や、今まで読まなかった本を読むようになったんです。

              

             −なるほど。今のあき先生の原型が作られてきた時代だったのですね。その後はどのように進路を決めていったのですか?

              まず、英語に興味を持つようになっていたので、自然にアメリカという国に憧れを抱き始めました。進学を考えているそんな時に、新聞記事で偶然出会ったのが、現在の『NICインターナショナル・カレッジ』という学校でした。

             

             −どんな記事だったのですか?

            日本にいながらにして、衛星回線を使ってカリフォルニアにある大学の授業を受けられるという画期的な仕組みをもった学校ということが紹介されていたんです。当時、まだインターネットが普及していませんでしたから、こういうことができるんだということに、僕はびっくりしました。

             

            −では、高校を卒業してNICインターナショナル・カレッジに行かれるわけですね!?

             そこで、転換教育というものをやります。これは海外の大学に留学するための教育なんです。とにかく英語を勉強するんですね。1日あたり授業で5時間、宿題で5時間、計10時間を英語に費やします。これで英語力が信じがたいぐらい向上するのですが、人間力も鍛えられます。

             

             −人間力ですか?

            海外の生活で必要となる力を、その1年でつけさせてくれるんですね。海外の大学で必要となっていく、ライティング、エッセイの書き方、プレゼンテーション、ノートの取り方はもちろん授業を通して向上します。でもそれだけではないです。自ら考え解決する力であったり、生活スタイル、文化的な背景、様々な考え方なども教えてもらえるんです。そして僕にとって大きかったのは、感謝の気持ちだったり、目上の方に対する言葉遣いだったり、そういう基本的な部分を磨いてもらえたという部分です。この1年でとても謙虚な気持ちになることができました。何よりも素晴らしかったのは、学校がカウンセリングの場を用意してくれていること、そのカウンセラーさんが真剣に僕たちの悩みを聞いてくれることでした。

             

            −徹底的にそこで仕込まれるわけですね。いきなり日本の高校を卒業して留学するのではなくて、きちんとそういうことを学ばせる仕組みが、体系的に整っているというのはとても安心ですね。

             もともと、NICインターナショナル・カレッジという学校は、アメリカのネバダ州立大学の日本プランチとして設立されているので、総合的な学習ノウハウが蓄積されているんです。

             

            1年間という短期で鍛えられるわけですね。

             はい。1年の勉強を経て、僕はネバダ州立大学リノ校というところに留学することができました。

             

            −リノという町はどんなところなのですか?

            とにかく空が近いんですね!真っ青でスカッとする空の下で暮らせる町なんです。年間300日ぐらいは晴れているとても気持ちのいいところです。

             

            −素晴らしいですね!憧れます。アメリカの大学に入学するって難しいのでしょうか?

             例えば、英語力として指標に、TOEFLという試験の点数があるのですが、一般的に500点以上ないとアメリカの大学に入れないと言われています。僕がNICインターナショナル・カレッジに入学した頃は400点に満たない点数でしが、必死で勉強し最後には基準を満たす成績を手に入れることができました。”やりたいことがあると人間けっこうがんばれる”と学んだ1年でした。ちなみにNICTOEFL等の条件を満たすと海外の大学の授業が、留学前の日本にいるときから受けられるんです。そしてその授業を履修すると単位ももらえます。ですので、日本にいながらにして既にいくつかの授業を受け単位をもらうことができる仕組み何ですがあるんですよ。

             

             −そしていよいよ渡米ですね。

             留学先の大学には教育アドバイザーという方がいらっしゃるのですが、どんな授業を受けたらよいか相談できることになっているんです。僕は教育を将来の仕事としたかったので、そういうクラスを取ることになりました。ところが、授業ばかりではないんですね。日本と違うのですが、僕が通っていた当時のアメリカの大学の教育学部のクラスでは1年目から教育実習が始まりました。そして週に数時間の教育実習が課せられていました。

             

             −いきなりですか?

              はい。行く学校は指定されるのですが、僕が担当するのは地元の小学校ということになりました。

             

            −緊張するでしょうね。

            そこで実は大変なことが起こったんです。

             

            −大変なことですか?どんなことでしょう?

            講堂に集まった全校生徒の前で、自己紹介をすることになったんです。ちょうどその学校はヒスパニック系の子供たちが多いと聞いていたので、ここは一発スペイン語の挨拶で驚かせてやろう!と思ったんです。それで密かにスペイン語を習って(笑)。

             

            −スペイン語ですか?すごいですね!どんな挨拶をされたのですか?

            『オラ・ケパソ  ミノンブレ・エス・フミアキ ムーチョ・グースト』 日本語にすると、『こんにちは!はじめまして!僕の名前は史明です。よろしく!』ということを言ったつもりでした。それまで、『日本から先生が来るんだね〜。キャハッ』などとニコニコと話をしていた生徒たちが一瞬にして凍りついたんです。あれ?おかしいな?と思って、もう一度大きな声で挨拶したんですね!すると、警備員が僕の体をガッチリと抱え、舞台の裾まで引きづりこんでいくんです。その後、面談室に連れて行かれ、校長先生、PTA役員、大学教授、僕の大学生活での担当者などが勢ぞろいし始めたんです。そして『ミスター・イソノ、今日の演説は何だ?』と言われたんです。その時点でも僕が何をしでかしたのかを理解していなかったので、『いや、自己紹介をしただけですが』と説明したんです。

             

            −スペイン語で自己紹介しただけなのにどうしたんだろう?と不思議に思ったのですね!?

            では、もういっぺんここで言ってみろということになって、『オラ・ケパソ  ミノンブレ・エス・フミアキ ムーチョ・グースト』と言ったんです。『オラ・ケパソ』(ハゥ・アー・ユー)、『ミノンブレ・エス』(マイ・ネーム・イズ)、『フミアキ』(史明)…ここでストップ。僕の名前のフミアキが全然違った意味になってしまっていたんです。『フミ(フメ)』というのは、スペイン語で“タバコを吸え”という命令形、『アキ』というのは、“ここで”の意。つまり、僕が笑顔でスピーチした自己紹介は、『こんにちは!お前たち、ここでタバコを吸えコノヤロウ!ヨロシクっ!』と聞こえたようでした。それから、そうそうたるメンバーとの話し合いによって、史明(フミアキ)という名前ではなくアキという名前に変わってしまったんです。それが、えいごのあき先生誕生の瞬間でした(笑)

             

            −それは大変な初舞台でしたね(笑)

            渡米して1週間以内の出来事でとてもショッキングな出来事でしたが、今ではその頃の小学生も大人になり、時々交流をしているのですが、懐かしい笑い話になっています。その後、ようやく留学生活が本格的にスタートしました。

             

            −では先生に向かってまっしぐらでしょうか?

            それが、またいろいろありました。ある時、留学生としてはどうしても取れない科目があるということが判明したんです。アドバイザーの方と話をし、その単位を取ることができないと、このままではアメリカの教育学部は卒業できないということになってしまったんです。いろいろな国の政策などが絡んできたのかもしれませんが、急にそういうことになってしまったんです。

             

            −それはとんでもないことですね。

             教育を学び、卒業することを信じて疑っていませんでしたから、一瞬にして目の前の進路が塞がれてしまった感じでした。でも、何か悪いことがあるとちゃんと救われる出会いの道があるんですね。キャロル・ムアーさんという女性に出会ったんです。彼女はネバダ州や、カリフォルニア州を中心に、障がいを持った子供たちのための”キャンプ・ケア”という教育を主催している方なんです。卒業ができなくなるかもしれない、落ち込んでいる僕を見て、夏休み中に行なわれるキャンプ・ケアにカウンセラーとして来ないかと誘ってくれたんです。

             

            -キャンプ・ケアというのは、どんな活動を行うところなのですか?

            今まで僕が関わってきた『教育』という分野を、特別支援教育という視野で考えると、まだまだとても浅かったなと思ってしまうくらい奥の深い活動なんです。感覚的なことや、心を伸ばすというのでしょうか?テクニックとかそういうことではなく、人間の本質的な教育という分野に衝撃を受けた夏休みとなりました。また、同時に別の道を開いてくれたのもこのキャンプ・ケアでした。

             

            −別の道ですか?

            粘土を使った教育などを実施するのですが、これをカップやお皿といった実用品ではなく芸術作品に仕上げていくんです。それにはまってしまったんですね。粘土って自分が触った感覚がそのまま残る変幻自在な物質なんです。後々、これがアート・エデュケーションという心を育てる分野だということを知ったのですが、その時はとにかく粘土の魅力にとりつかれました。結局、教育学部では卒業できないので、教養学部の芸術学科に変更をかけることにしたんです。ただ、芸術家になることを目指していたのではなく、あくまでも特別支援教育の一環として関わっていくつもりでした。


             

            −特別支援教育としての関わりとして粘土芸術を行っていたのですね。

            卒業後に、学校の支援を受けて、障がいを持った子供たちが作った作品を発表する個展を開かせてもらえたんです。そんな中、自分の作った作品も隅っこに飾っていたのですが、びっくりすることにとんでもない値段を付けて『売ってくれ』という人が現れたんです。僕は、もちろん留学生の立場ですから商売はできないのですが、そういうことではなく、ビジネスとしてアートをやってきたつもりもなく、これは自分が目指す道とは違うということがそこでよくわかりました。結局、作品は全て大学に寄贈させて頂きました。

             

            -英語力を身に付け先生を目指して、特別支援教育の大切さを学び、芸術を通した教育も経験し、すごく凝縮された留学だったのですね。

            その後帰国し、海外の学校を卒業した人向けの、プログラムがあると紹介され講演や講義をさせていただくようになったんです。そこから学校からも直接呼んで頂けるようになりました。僕のクラスは、一般的な教育のための英語の授業とは違い、英語を勉強するのではなく英語を使ったコミュニケーションを体験してもらう教室です。

             

            −いろんな選択肢の中からその道を選んだのですね。

            芸術家の道は違うと感じ、教育者として何かを語るにはまだ若い、今自分ができること・やるべきことは今のスタイルなのではないかと思っています。海外留学の体験や、海外での教育事情を肌で感じ体験してきたからこそ伝えられることがあると思っています。


             

            −では若い生徒さんだけではなく、学校の先生にも教える立場でもあるのですね。

            学校によっては教員研修に呼んで頂いたり、企業の研修などの講師を務めさせていただくこともあります。英語の使い方や、タイミングなど、英語のいわばストレッチの部分、アップの部分、つまり教科書以外の部分を担当していると思っています。日本の中高生の教科書ってとてもよくできていると思います。段階を経て文法、単語などが覚えられる仕組みになっています。でもそれを自分に置き換えたり、応用して使う場面に時間をかけることができないのが現状です。シチュエーションによって自分なりの表現を考えたりと、英語に接する楽しい時間を増やすと、もっともっと英語好きな人が増えると思います。

             

            −英語は勉強と考えると嫌なものになりそうですが、そうではないんですね。

            10のうち、英語という言語の部分は1とか2とかその程度だと思うんです。それ以外の『感じる』部分が大切であり、そこを教え伝えていくことで、使える英語になると思うんですね。ここでいう『感じる』というのは、『熱い』だったり、『重い』だったり、『恥ずかしい』だったり、そういう気持ちです。そのために僕の授業では小道具をよく使うんですね。実際に熱いコーヒーが入った紙コップを隣の人に渡して行く行動を感じながら、表現をしてもらうんです。

             

            -確かに。日本語でも、熱かったこと、重たいものの話をするときは、それを思い出していますもんね。教科書の単語を読むのではなく、その情景を思い浮かべて、自分だったらどんな気持ちや感覚になるかということを感じてもらう授業なのですね。私もあき先生の授業を受けたくなりました。

            そして、もう一つ大切なのは、まず声を出していくということですね。例えば、オオスミさんの会社で扱う環境を考えると、環境中の物質って目に見えないものが多いですよね?それを分析してレポートとして出して始めて目に見えるようになると思うんです。僕たちも一緒で、英語というのは声に出して、コミュニケーションになって初めて英語として機能するものだと思っているんです。


             

            -他に、あき先生の教室ではどんなことが身に付きますか?

            教科書を使うとき、使わないときなどプログラムによって方法は異なりますが、まず共通して言えるのは自分のことを英語で言えるようになることを身につけられるようになります。つまり自己紹介ですね。特に大人にクラスでは、まず自分の専門についてきちんと英語で表現できるようになって頂きます。大角さんもお仕事として海外によく行かれていますが、自己紹介の部分や仕事の紹介の部分ってとても大切ですよね?そういうところにまず力を入れています。

             

            −最後に今後あき先生が目指す道を教えてください。

            日本人の英語嫌いを、英語なんて簡単じゃないか!と思ってもらえる世界を作りたいと思っています。生涯学習をテーマに僕自身授業をつづけていく事。それと、もうひとつの方法として、『イングリッシュ・イン・アクション』、ビジネスマン向けの『ビジネス・イン・アクション』という英語合宿のプログラム(イギリスで開発され、世界中で年間15,000名以上が受講。日本にも12年前より導入されたプログラム。)があるのですが、これを日本で広めていけたら素晴らしいと思っています。(あき先生は2014年からこのプログラムのアンバサダーに選ばれています。)集中的に英語を勉強することによって、段階的に少しずつ英語が使えるようになるプログラムなのですが、これらのプログラムを企業や学校で広めて行けるようにしたいです。ゴールとしては、おじいちゃん、おばあちゃんが普通に日本語も英語も話せ、世界の中でも他の国の人達とコミュニケーションが取れていたらいいなと思っています。

             

            English in Actionの動画 

             

            −ありがとうございました。とても素晴らしいお話、勉強になりました。


             

             

            【大角所感】 英語が苦手。でも何かを伝えたい。その気持ちは海外でたくさん経験しました。文法や教科書の勉強だけではどうしても『〜しなければならない』というマイナス的な考え方に陥ってしまいがちですが、あき先生の楽しい授業によって親しみを感じていくことができれば、上達も早いのではないかと感じました。

             

            海外特にアジアに出て感じるのは、若い人たちの英語力です。英語力というのは、英単語を知っている力や、正しい文法を身につける力ではなく、話す力、表現する力、怖がらない力です。これからの時代は間違いなく、今よりも英語力を必要とされる世の中になっていくことでしょう。だからこそ、『苦手克服』だけではなく、『好きだから学ぶ』という前向きな考え方に変えていかなければならないと強く思います。

             

            あき先生は、『チャンスが巡ってくる』、『人とのありがたい縁により…』という表現をインタビューでたくさん語ってくれましたが、それはあき先生の軸が常にブレずにはっきりとゴールを目指しているからでしょう。人は、強い思いを持った人には協力したくなると言います。何を目指しているか明確になっている人には情報が集まりやすいとも言います。それは、あき先生の、人に対する優しさ、心配り、気遣い、そして何よりも相手に楽しんでもらおうとするエンターティナー的要素を持った教育者だからだろうと思いました。

             

            2014621日、株式会社オオスミが主催するスピーチ・プレゼンテーション練習会を横浜市瀬谷公会堂で行います。クローズドの会のため、事前の申し込みは必要となりますが、この会のオープニングアクトは、あき先生にお願い致しました。是非皆さまの申し込みをお待ちしております。お問い合わせは、こちらへ。 

            山田修司さんにインタビュー(Volume71)

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              情熱インタビュー第71号は、株式会社リクルートライフスタイルにお勤めの山田修司さんです。山田さんとは数年前にスピーチ教室で知り合ったのですが、それ以来、仕事に対する考え方や取り組み姿勢について、いつも大変勉強にさせて頂いてきました。お客様の苦情を一手に引き受ける難しいお仕事を、どうやって笑顔で応対しているのか?今回はその秘密に迫りたいと思います。それでは宜しくお願い致します。

               

              −最初に、今の仕事に就くまでのお話をお伺いできますか?

              私が就職した年は1992年なんですが、いわゆるバブルと言われた最後の時代ですので、ぎりぎり就職には困らなかったんです。会社訪問に行けば内定がもらえる時代でしたね。普通に勤めて、適度に遊んで、将来のこともあまり考えない学生時代を送っていました。その頃にリクルートでアルバイトをしていました。

               

              −アルバイトからそのままリクルートに入いれたのですか?

              結果的にはそうですが、実は別の会社に就職が決まっていました。生活用品のメーカーさんで営業をやる予定だったんです。でも6月ぐらいにアルバイト先のリクルート社員の方から、「ウチの面接を受けてみないか」とお誘いいただいたんです。

               

              −就職内定がもらいやすいとはいえ、リクルートさんは超人気の企業でしたよね。

              あまり難しいことは考えていなかったんですが、何となく楽しい職場の方がいいし、アルバイトしていたので雰囲気も分かっているので、リクルートに飛び込むことにしたんです。

               

              −山田さんを惹きつけたリクルートの雰囲気ってひと言でいうとどんな感じなのですか?

              普段は、おしゃべりばかりしている感じです(笑)。でもいざとなるとチームワークを発揮してことに当たる。そんな雰囲気でしたね。

               

              −なるほど。最初はどんな仕事に就いたのですか?

              1992年に入社し、群馬営業所の配属になり求人広告を売る営業の仕事に就いたんですが、ちょうどバブルが崩壊し、企業も広告宣伝費を抑え始め、結局、群馬営業所は閉所になってしまいました。

               

              −楽しい時代と厳しい時代を一度に経験した感じですよね。

              いい人が多いし、何となく楽しそうだからという理由でリクルートに入り、営業がやりたいという理由で営業所に配属になったまでは良かったのですが、営業でトップを取ろうという気持ちはあったのですが売ることもできず、営業所もなくなってしまったんです。そして、現在の“読者ホットライン”というクレーム対応部署に配属になりました。

               

              −それは何年頃ですか?

              1994年でしたので、それから20年間現在の部署にいることになります(笑)。

               

              −花形と言われたリクルートの営業の仕事から、クレーム対応部署に転属となると、普通の人なら落ち込みそうですが、山田さんは違うんですよね!?

              営業の頃は、アポをとっても断られるし、訪問しても会ってもらえないことも多いし、お客様からお仕事のいただけないダメな営業でした。だから、ここクレーム対応部署では仕事があること自体が嬉しかったんです。この仕事は、席に着いたとたんにお客さまからの電話が鳴るんです。こんな嬉しいことはないですよ(笑)。

               

              −私も、営業出身ですし、現在は総責任者としての立場もあるのでクレームの応対はとても大変だと思うのですが、山田さんのその考え方を是非聞かせてください。

              配属されたばかりの時は、周りの先輩たちは暗い顔をしていましたね。“飛ばされた”、“左遷された”という感じだったのでしょうが、私には全くそういう悲壮感はなかったんです。だから当時は私だけ浮いていましたね。例えば、当然クレーム対応の電話だと分かっていて電話を取るのですが、『お電話ありがとうございます!ホットラインの山田でございます!』って元気よくニコニコしながら明るい声で電話に出るんですね。黙っていても仕事が舞い込んでくる、売れない営業だった僕には、クレーム電話の11件が、有難くて仕方なかったんです。

               

              −そこからして素晴らしいと思うのですが、どういう気持ちで電話を取られていたのですか?

              人の話を聞くのが好きだったんですね。それに全ての電話にはドラマがあるんです。そのドラマをただで聞かせてもらえるんです。こんな素晴らしい仕事はないって思っていました。当時は、『エイビー・ロード』という旅行雑誌のクレーム対応をしていたのですが『クレーム対応なのに楽しそうにやっている奴がいる。』、『ホットライン担当におかしな奴がいる。』と会社の中でも評判になったようです(笑)。そこから、『じゃらん』、『ゼクシイ』、『ホットペッパー』、『カーセンサー』、『住宅情報』…と、気づいたらリクルートの全メディアの苦情窓口を担当していたんですよ。

               

              −担当として電話応対の最前線をされていたのですね。

              当時から10数年間担当してきました。その後、プレイヤーからマネジメントの方へ少しずつシフトしてきています。現在は、これらの情報誌やウェブサイトをご利用頂いている消費者の方々からの問い合わせ部門の管理者ということになります。

               

              −一口に苦情・クレームといっても様々だと思うのですが、どのような電話の応対がメインになるのですか?

              リクルートは、たくさんのメディアを発行、運営していますので、読者やネットユーザー(総じてカスタマーと呼びます)からの問合せは1ヶ月合計で数万件にも及びます。この数万件の問い合わせは、専門のコンタクトセンターで受け付けているのですが、このうち、苦情やクレーム、などホットな案件だけが、私たちの部署=CS推進部に回ってくるんです。

               

              −配属当時は、他の先輩帯は暗い顔で応対されていたとおっしゃいましたが、今はどうなんですか?

              今は全く変わりました。

               

              −その雰囲気を作ってきた山田さんの信念をお聞かせください。

              会社の用意した答え、マニュアルと言い換えていいかもしれませんが、それをそのままカスタマーに返答しても本当の意味での信頼関係は生まれないし、仕事の楽しさって味わえないと思うんです。会社の価値って、そこで働く全ての人それぞれが、自分の価値をどれだけ出しているかの集合体だと思うんですね。基本的には、会社の理念と自己の信念はシンクロしているべきであり、それがクレーム対応であろうが通常の営業活動であろうが、それぞれが一人の人間として正しいと思うことをすればよいと思うんです。クレーム対応している人をたくさん見ている中で、上手じゃない人ってマニュアルの中でしかジャッジしない人なんです。ってか、そもそもマニュアルの中身、どうしてそういうマミュアルがあるのか、その意味をきちんと理解できていない人だと思います。

               

              −といいますと?

              仕事をしている自分と、本当の自分の意見が違ってしまっていると、ダメ、うまくいかない。マニュアルや法律で何が正しいかではなく、この会社は社会に対して何をなそうとしている会社なのか、その会社の中で社員として人間として自分は何を正しいと思うのか?自分の考えや信念に基づいて仕事をしなければ、相手には見透かされてしまいます。

               

              −何か分かりやすい事例がありますでしょうか?

              例えば、楽しみにしていた旅行が大雪の影響で行けなくなってしまったという話があったとします。お客様は、行けなくなってしまったので仕方なく当日にキャンセルを旅館側に申し入れたところ、旅館から『背に腹は代えられないので、きちんとキャンセル料は払ってくださいね。』と言われたと。その話がコールセンターに来て、そこではどうすることもできなくて私たちの窓口に廻ってきたとします。そのときの対応で、私たちができるのは、そのお客様の気持ちになってちゃんと話を聞くことなんです。『えー、そうだったんですか!?その旅行ってどんな旅行だったのですか?』と聞くと、『いやぁ、妻と久しぶりに休みが合ったので、3年ぶりに二人で出かける温泉旅行だったんだよ。』と話をして下さいます。私たちが真剣に、本当にその人の気持ちになれば、どういう言葉がでるでしょうか?例えば『それは残念でしたね。奥様もさぞがっかりされたことでしょう。』と言う言葉になりますよね。『そうなんだよ。次に一緒に休みが取れるのは8月だからなぁ〜』と続いて行くことになるでしょう。

               

              −きちんと話を聞いてくれている。こちらを向いてくれているということが受話器から伝わってきますね。

              それを、『法律では、このような場合は契約者と非契約者の間で解決して頂くことになりますので、私たちは対応致しかねません。』と言ったらどうなるでしょうか?何が残るでしょうか?もしかしたら正しいのは後者の対応なのかもしれません。法律上の責任はないのですから。でも、ここで話す一件無駄とも思えるその時間こそが、相談者の気持ちを和らげ、もしかしたらもう一度私たちの媒体を利用してくれることにつながりはしないでしょうか?

               

              −よく分かります。どこかにぶつけたいこの気持ちを受け止めてくれる人や場所がないとやるせない気持ちになってしまいますよね。振り上げた拳をどのように下ろして頂くか。我々はともすると逆に火に油を注ぐような対応をしてしまっている時があるかもしれません。

              そうなんです。だから、電話に応対する人ひとりひとりがとても大切になってくるんです。仕事だからクレーム対応しているんですという気持ちにさせてはいけないんです。本当に楽しいね!という雰囲気をチームで作っていかないといけないんです。

               

              −CSとESという言葉がありますが、まずはESが大切ということですね。

              そうなんです。お客様というのは、お金を支払ってくれる方だけではないと考えています。私たちの会社が実現しようとしていることに賛同してくれる全ての人をお客さまと言い換えるなら、従業員こそがまず大切なお客様でもあるのではないかと思います。ですので、相談員の方が自分らしさを発揮して、優しさや思いやりや感受性を発揮できる職場づくりを行うのが、今の私の仕事であり、ひいてはCSにつながると信じています。

               

              −山田さんご自身がそうであるように、そこで働く人すべてが楽しく働けるようにされているのですね。

              クレームの現場でそういう雰囲気ってあまりないと思うんですよね。でも、私はそれが大切だと思いますし、できると思っています。

               

              −素晴らしいお考えだと思います。本当に勉強になります。そういう考えを持つ山田さんを作ってきた環境を、更に深く知りたいと思うのですが、何故そんなに明るく前向きにお客さま対応ができるのでしょうか?

              元々私は群馬出身なのですが、商売人の父の影響があるのかもしれません。プロパンガス供給の仕事をしていたのですが、どんなに遅くても、どんなに寒くても、どんなに疲れていても、全てすぐに対応するんです。母に『今日はもうやめて明日にしたら?』なんて言われても、頑なにお客さまの所へ行くんです。『困っている人がいるんだから、俺が行ってやんなきゃならないだろう!』というのが父の信念であり、男気だったんですね。私もそういう背中を見て育ったことも役に立っているのかもしれませんね。私たちは、とにかく話を聞いて上げるんです。そしてどうやって解決していったら良いかを一緒に考えるんです。仕事ですけど、仕事だから仕方なくやっているのではないんです。本当に聞きたいんです。そして仕事は楽しまなきゃだめなんです。

               

              −クレームの応対だけでなく、仕事を楽しむコツがあれば是非お聞かせいただきたいのですが。

              昔から、本を読んだり映画を観たりするのが好きだったのですが、お客様のお電話を受けながら、その都度自分の好きな役者になったような気持ちで受け答えをすることがあります。それから、仕事だからって全てビジネス文書で出すのでは面白くないと思い、社内の報告書なんかも多少ポエティックに書いたりしますね(笑)。

               

              −ポエティックですか?

              例えば、『始まりは一本の電話からだったそうです。』から書き出すんですね。すると営業さんが『おっ』と反応してくれます(笑)。

               

              −斬新的ですね。他にも仕事をうまく楽しむコツはありますか?

              楽しむというのではないのかもしれませんが、対立する部署を一つにまとめる役割が好きですね。

               

              −といいますと?

              仕事を定時で切り上げて帰りたい事務の社員と、8時にようやく会社に帰ってきてこれから始まる残務処理を手伝って欲しいと思う営業。売りやすいものを安く商品化して欲しいと思う営業と、先進的なデザインで、わかる人にだけ高く買ってもらえればいいと思う開発の関係。どんな会社でも対立する組織がありますよね。そういう組織を結びつけたくなるんです。

               

              −何故そういうことが好きというか、得意になったんでしょうか?

              営業時代のことが影響していると思います。1日に飛び込み営業を100軒したとしても、1軒も商談に至らないことが結構あるんですね。営業の仕事は100軒回ることではなく、1軒の成約を得ることですから、商談にならないと仕事をしていないことになります。でも苦情の応対は座っているだけで仕事になるんです。多い時には一人で1日に30回も仕事ができるんです。そしてその一つ一つがドラマであり、また対立があるんです。そういう仕事を毎日毎日、何年もやっていると、段々と両者の間をどうしたら中期的に柔和できるかという経験が生まれてくるんですね。

               

              −なるほど。それだけ様々なケースの体験をすると、見えてくるのかもしれませんね。そのあたりをうまくやるには、あえて言うならどんなことをすればよいでしょうか?アドバイスを頂けますか?

              そうですね。面倒くさいことを徹底的にやるということでしょうか!?人と人、部署と部署との対立の構図の中には『面倒くさくてやらなくなってしまったこと』がたいていあるんですね。例えば、簡単に言うと『挨拶』です。

               

              −挨拶ですか?

              はい。社内の場合、対立の発生するところにはまず挨拶がないんですね。だから、私は何をやるかといえば、両者を会わせちゃうんです。会って仕事の話をするのではなく、お茶を飲んで世間話でもしてもらうのです。『好きなタレントは誰?』とか、『好きな食べ物は何?』とか(笑)。でも仕事ですから、ひとつぐらいは改善点について話をしてもらいます。前向きに捉えるとどんな改善点があるかお互いに話をさせるんですね。すると、例えば営業が『目標が重過ぎて・・・。』という発言をします。それを聞いた事務系のスタッフからは、『え?そんなに営業の人って大きな目標を掲げていたんですか?』とびっくりするんです。つまり、組織が大きくなければ普通に分かることなのに、組織が大きくなって仕事が細分化されるとお互いが理解できなくなってしまうんです。それだけなんです。それが挨拶ということなんです。

               

              −素晴らしいですね。

              それだけではまだダメで、そのあともこんなことをします。まず、会議のあとに、出席した事務スタッフに今日の会議の感想文を書いてもらいます。そこには、『営業さんがそんなに思い目標を背負っていたとは知りませんでした。』ということや、『営業の人達が夜遅くに帰ってきてからまた事務仕事をしているなんて初めて知りました。』などと行ったことが上がってきます。それを私がまとめて、営業部に送るんです。『この間はありがとうね』と言って。そういうことをする人が最近いないので、営業からも『CS推進部ってそういうことをちゃんとやってくれるんだ。』と評価してもらえるようにもなります。

               

              −それが、『面倒くさいことを徹底的にやる』ということなのですね!?

              また例えば、営業が確認して来てくれたことを聞いたらちゃんと返すことです。クレームを出してしまった商品について、『この商品はメーカーが修理改善しているので3ヶ月後に新たな対策品が出ます。』という営業の報告に対して、『はい、分かりました。』で終わらせるのではなく、『あ、そこまで調べて来ていただいたのですね。ありがとうございます。』と返すのです。当たり前のことですよね。でも当たり前のことを出来る人が少なくなってしまっています。だから私は、当たり前で、ちょっと面倒くさいことを徹底的にやってもらいます。大角さんも名刺交換のあとに葉書を送っていますよね。そういう誰もやらなくなった面倒くさいことを徹底的にやることが、あっという間に良い方向に変わっていくコツだと思います。

               

              −日々のコミュニケーションが大切なんですね。

              昔は、アフターファイブに赤提灯に行ってコミュニケーションをとっていましたよね。でも今は、雇用形態の多様化などもあってなかなかそういう事が出来にくくなってきました。だから、タバコ部屋で交わされる会話や、給湯室での噂話って結構大切なんです。そういうことをしながらどれだけ人間関係を作れるかです。これは計算づくでは作れません。『何が』ではなく『誰が』が大事。『修司が言うなら仕方ないな〜』とどれだけ言ってもらえるかです。人間性やその人の信念・理念がちゃんと相手に伝わっていないと動かないんです。1対多数のスピーチでは伝わりにくいものですよね。仕事で現れる人間性って、その人のほんの一部でしかないんですね。だからアフターファイブのない現代の職場では、仕事の話しかしない組織がどんどんダメになっていると感じます。

               

              −社内の壁ができると、社内営業とか、社内説得が始まりますよね。

              そうなんです。同じ社内なのに4時間かけてパワーポイントでプレゼン資料作って説明するんです。そっちのほうが仕事しているように見えて無駄だと思うんですよね。くだらない話を1日10分してコミュニケーションをとって行った方がどれだけ仕事の効率が良くなるか(笑)。『この間のあれさ』『ああ、あれね』って会話が成り立つぐらいまでコミュニケーションを取っちゃうんです。

               

              −もう一つ、仕事をうまくやるコツはありますか?

              そうですね。まあ、いろいろと相手のためにやったとしても伝わらないことって多いですよね。むしろ伝わらないことのほうが多い。そんな時に、『こんなにやってあげたのに!』とは絶対に言うなということを指導しています。『勝手に心配して想像しろ』と教えられたことがあります。つまり心のつくりかたです。『やってあげたのに…』と思うと、そういう気持ちになってしまいます。『ああ、そういうこともあるよね』と諦めて執着しない。これもうまく仕事をやるコツだと思います。

               

              −ありがとうございます。最後に、今後山田修司さんが目指す目標や夢などがありましたらお聞かせください。

              2つありますが、まず日本中のCS担当者を元気にさせたいと思っています。CSに関する理論について私が学んできた素晴らしいお二方の先生や、ホスピタリティー・ロジックについてとても分かりやすく教えてくださる講師の方がいらっしゃるので、その先生をお招きして講習会・勉強会を開きたいと考えています。これをより多くのCS担当者の方に聞いてもらいたいと思っています。私たちのような仕事って、孤独で頑張っている方が多いんです。誰にも理解してもらえない。会社組織の中からも認めてもらえない職場もあると聞きます。今までもCSカレッジという講習会を毎月開いてきましたが、その受講者と内容の枠を広げ、もっともっと日本中に広めていけたらと思います。

               

              −もうひとつはどんなチャレンジですか?

              世の中の仕組みを変えたいと思っています。日本の大学生は3年生の頃から就職活動を始めますが、これは企業側の勝手な青田買い理論なわけですよね。もっと学生時代は勉強したいと思っている学生がたくさんいるんです。私が変えたい世の中の仕組みは、大学生はきちんと4年間勉強し、卒業後に社会に出る準備としてCSやホスピタリティーをしっかりと学んでもらうという仕組みを創ることです。単科大学で1年間勉強したのちに社会人になる。もちろんその1年間は単なる座学の勉強だけではなく、実際に働いてもらうカリキュラムも入れます。仕事をして、働くことでしか得られない感動を体験してもらうんです。企業から見ても『是非、そこの卒業生を採用したい。』ということになるレベルまで徹底的に本気で作りたいと考えています。

               

              −ありがとうございました。本当に素晴らしいお話をお聞かせいただきありがとうございました。

               

              【大角所感】

              この情熱インタビュー・シリーズでも時々登場する『世の中や社会を変える新たな仕組み』について、山田修司さんからお伺いしました。CSやホスピタリティーの仕事から社会を変えるという視点、そしてCS担当者のホスピタリティー講習会と、本物のCSカレッジの設立は多くの企業・経営者にとって熱望される学校ではないでしょうか?私自身も通いたいと思いますし、私たちオオスミのメンバーにも交代で通ってもらいたいと思います。そして新卒新入社員の採用には、リクルートCS単科大学の卒業生を…という時代が当たり前になってくるかもしれませんね。

               

              仕事だから仕方なくやるのではなく、一人ひとりが正しいと思うことを、誇りをもって働くこと。無駄と思えることを徹底的にやること。今回のインタビューでもたくさんの学びを得ることができました。山田修司さんのプレゼンテーションは、2013年のオオスミ大学のプレゼン・スピーチ講習会でも披露していただいたことがあるのですが、今後も是非いろいろな場面でお話を聞きたいと思います。


              江口恵子さんにインタビュー(Volume70)

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                 情熱インタビュー70人目にご登場いただきますのは、ナチュラルフードクッキング代表の江口恵子さん。様々な雑誌やウェブで記事やレシピを書かれる有名なフード・スタイリストさんです。江口さんはインテリア・スタイリスト、フード・スタイリスト、ケータリング・サービス、料理教室の主宰などとても幅広く活躍されながら、家族の食を支える素敵なお母さんでもあります。それではよろしくお願いします。

                 

                −多くのお仕事をされていますが、江口恵子さんの現在の肩書きはどのようになるのでしょうか?

                はい。インテリアとフードのスタイリストです。フード・スタイリストに関しては人によってはフード・コーディネーターと呼ぶ方もいらっしゃいます。仕事の内容によって呼び方も変えることもありますね。

                 

                −インテリア・スタイリストとフード・スタイリストというと全く別の仕事に感じられるのですが、それではまずこのような仕事のきっかけについてお話頂けますか?

                まず、私はインテリアとデザインを学ぶ学校を卒業して、設計やインテリア・コーディネート・デザインを行う会社に就職しました。ところが、入社一日目から辞めることを考えたんです(笑)。デザインやコーディネートの仕事をやりたいと思っていたのですが、安いものを提供して利益を上げることを求められる現実にショックを受けたんです。お客様に合わせた良いものを提案しようと思っても、まずは在庫処分品から提案させられたり、家具の仕入れもデザインや機能だけではなく仕入れ掛率の安さが重視される事もありました。結局1年勤めて辞めました。

                 

                −目指していた世界と大きくかけ離れていたんですね。

                このままここにいてはいけないと思いながらも、「最終的に自分はどうなりたいのか」と、次の仕事先選びは慎重になりました。そんな時インテリア雑誌をめくっていると、『これだ!』って直感で思えるインテリアのページに巡りあったんです。『こういうインテリアをスタイリングした人の下で仕事を覚えたい!』と思ったら行動あるのみです。当然、スタイリストさんの連絡先もわからないので、まずは編集部宛に手紙を出しました。でも当然返事は来ません。待っていても埒があかないので今度は編集部に電話をして手紙を送った旨を伝え、その後どうなっているか直接聞いたんです。

                 

                −どうでしたか?

                編集部からスタイリストの方へ手紙は送ったというんです。それだけでは連絡が取れないと思ったので、連絡先を聞き出そうとしました。もちろん教えてくれるわけはないのですが、熱意を感じてくれたのか私の連絡先を聞いて伝えてくれると言ってくださったんですね。その後、ようやく連絡が取れるようになり私の意思を伝えました。

                 

                −何と言ったのですか?

                『弟子にして下さい』と言いました。自分がインテリア・スタイリストになるためには、まずはアシスタントとして経験を積まなければなりません。でも先生は『弟子はいらない』というんです。自分はそんなに仕事を大きくしないし、アシスタントを増やすほど仕事もないし、あなたが来ても養えないと言うんです。そして、もっと自分よりも忙しい人や有名な人がいるから、紹介してあげると言われたんです。

                 

                −有名な先生ですか?

                はい。確かにその先生よりも名の通ったインテリア・スタイリストの代名詞とも言える先生の名を挙げられたんです。普通の人なら飛びついたかも知れません。でも私はその先生の仕事に魅せられていたので、他に行くつもりはなかったんですね。何とか食い下がって、『仕事がないときは他のアルバイトをして食べていきますから。』と言って、最終的には押しかけて来たかたちで東京に来たんです。

                 

                −確か江口さんは関西でしたよね?

                はい。これで師匠ができました。最初に行った時には『本当に来たの?』とびっくりされました(笑)。

                 

                20代の頃ですよね。親御さんには反対されませんでしたか?

                もちろん反対されました。でも子供の頃から、やると言ったらやる意思の強いところがあって、親もそれを知っていたんですね。母からは『反対はするけど、ダメって言ってもあなたは行くでしょ?反対して飛び出して連絡が取れなくなると嫌だから、ちゃんと送り出してあげる。本当は反対だけど止めない。』と言ってくれました。その代わり、仕送りや援助もしてもらわないという約束です。

                 

                −そして東京で、憧れの師匠との仕事の始まりですね。どうでしたか?

                最初は東京そのものが分からないんです。東京駅から新宿に行くのに山手線に乗っていましたから(笑)。それに師匠からは常に『才能ない』、『素質ない』、『もう辞めれば?』って何度となく言われていたんです。

                 

                −そうなんですか?

                アシスタントになって最初の1年間は、なかなかうまくいかないことも多く、へこんでばかりいました。でも、覚悟を決めて家を出てきていますから、師匠に何と言われようとこの仕事しかないんですね。熱意だけは誰にも負けないつもりでいました。でも徐々に仕事も覚えてきて、2年目ぐらいからは少しずつ提案ができるようになってきました。

                 

                −ここで少し、インテリア・スタイリストという仕事について教えていただけますか?

                雑誌や広告にインテリアの写真がありますよね。ひと言で言うと、あれをスタジオで再現して写真を撮る仕事なんです。まず雑誌の企画が決まると、編集者やデザイナーさんと打ち合わせをします。こういうページ構成で、こういう写真を撮りますということが決まります。それから、私たちが詳細に計画を立てていきます。どのメーカーのどんな家具をどこに置くか、照明はどんなものにするか、テーブルの上に置く食器はどうするか、お花をどこに飾るかなどなどディテールを詰めていきます。

                 

                −アシスタントの仕事はどんなことから始めるのでしょうか?

                全ての道具をお店から運び出してくるんですね。家具や、テーブル、小物、花に至るまで全部で何十軒もお店を廻ります。ロケバスと言われるバンと運転手さんを手配して、お店を廻ってもらい、借りる道具を一つ一つ梱包し、車に積み、撮影スタジオに運びます。その後、それらをコーディネート通りにセッティングして撮影をします。まるで引越し屋さんみたいです(笑)。もちろんそれだけじゃなくて、掃除からスタッフの昼食の準備や後片付けなど、雑用も全てやらなければなりません。

                 

                −2年目になって提案ができるようになったということですが、どういう提案なのですか?

                いろいろな道具を借りてきて、それをスタジオで再現するのですが、現場で考えながらひとつずつコーディネートしていくんです。現場合わせしていくんですが、時々師匠も悩むんですね。自分で借りてきた物ではあるけれど、イメージが沸かない時があるようなんですね。そんな時に、たくさんある荷物の中から、師匠が選びそうな物を選んで、『これどうですか?』って提案していくんです。

                 

                −いつも一緒に仕事をしているからそういう好みなどが分かってくるのですね。

                最初の1年目は自分でもどんくさいと思っていたぐらい動けなかったのですが、だんだんと先回りができるようになってきました。例えば師匠が花瓶を手にしたら、すぐに水を汲みに行って、お花を生けられるように水とハサミを用意するんです。何も言わなくても、師匠が次の行動に移れるように先々に廻って準備をしていくんですね。手が濡れそうならタオルを持っていくとか…どんくさかったのですが、気はついた方だったと思います。だからよく叱られはしましたが、同時に可愛がって頂いたんだと思うんです。

                 

                −頼りにされてきたんですね。

                少しずつ信頼してもらえてきたんだと思います。最初のうちは、仕事が入らないときはカフェでアルバイトをしていたんです。でも、せっかくだから現場の仕事をもっと覚えなさいと言われ、仕事がないときは師匠からの紹介で別のスタイリストさんのアシスタントをさせてもらったりもしました。

                 

                −インテリアの世界からフードの世界に入ってくきっかけはどんなことだったのでしょうか?

                インテリアの中でも、テーブルの上に置く器だけをコーディネートする仕事もあるんですね。お料理の先生が作った料理を、スタイリストが選んだ器に盛るんです。その仕事を師匠がしていたことと、私自身がずっと料理が大好きだったことから、そういう勉強もしながら、独立したら料理を作る方も仕事としても取り組んでみたいと思っていました。

                 

                −器を選ぶだけじゃなく、料理も自分でやるということですか?

                そうです。料理は料理、器は器と分業されていましたが、そこの部分を一緒にやってみたいと思い始めたんです。

                 

                −そして独立への道を進んで行くわけですね?

                アシスタントを2年間やってきて、3年目の年の初めの初出勤日に師匠に言われたんです。『この1年が最後だからね。これ以上長くいても意味がないから独立しなさい。そういうつもりでこの1年を頑張りなさい』と。師匠から吸収できるものは全て吸収しようと思いました。

                 

                −その頃のアシスタントとしての仕事は、最初の頃と変わってきていますか?

                3年目になると、当日の現場以外は、だいたい私に任せてもらえるようになっていました。打ち合わせに一緒に参加して内容を聞いたら、二人ですり合わせを行います。『大丈夫?』って聞かれて、『大丈夫だと思います。』ということになると、私が考えたコーディネートをラフ・スケッチにして師匠に見てもらいます。OKがもらえると、いつものようにお店に行き、家具や小物を借りてきます。そして撮影当日、師匠は現場でスタイリングをするというスタイルになってきました。

                 

                −ほぼ、任せてもらえるようになったんですね。

                本当にありがたかったです。そして師匠のすごいところは、絶対に人のせいにしないんです。私のミスで準備が足りなかったりすることが何度かあったのですが、それをアシスタントのせいに決してしないんです。『必要なものを忘れてしまったので、今、アシスタントに取りに行かせてます。』って言ってくれるんです。同時に、ありがたい注意もしてもらえました。『私が現場で何かミスをしても、笑って『ごめんなさいね』で通じるけど、独立してすぐにこんなミスがあったら仕事がこなくなるからね。』って。

                 

                −そしていよいよ独立ですね。

                アシスタント時代に師匠の紹介でついた多くの先生方からの紹介もあってすぐにお仕事をもらうことができたんです。それぞれのスタイリストの先生方がが私のために、来年の1月から一本立ちするからよろしくねと撮影現場で言ってまわって下さったんです。

                 

                −独立後はインテリア・スタイリストとして活躍されたのですか?

                はい。インテリア雑誌の仕事が中心でした。そして仕事が仕事を呼んでくれるといいますか、雑誌のクレジット欄に私の名前が載ると、その雑誌の編集部に問い合わせが入りお仕事の依頼が来ました。今でも当時の雑誌の編集者の方には足を向けて眠れません。

                 

                −フード・スタイリストの仕事もしたいとアシスタントに頃に考えていたのですよね?その割合はどれぐらいだったのですか?

                最初の頃は、インテリア・スタイリストの仕事が9割でした。フードは1割程度です。でも現在は逆転してフードの仕事がほとんどです。

                 

                −その逆転への道のりを聞かせてください。

                他のインテリアのスタイリストさんの場合、準備した器の上には、たいてい買ってきたパンやフルーツやお菓子をあしらい程度に置くことが多いんです。でも私は、このダイニングテーブルに集う人たちがどんな人かを考えたかったんです。今日のセッティングは『お休みの日のホームパーティー』にしようとか。そう思うと、並べたい料理まで見えてくるんですね。夏に出る本だから、夏野菜を取り入れたりと、季節感についても感じることができるような料理を全部自分で作って現場に持って行ってたんです。

                 

                −そんな凝った料理まで準備して現場に持っていくんですか?

                作りたかったんですね(笑)。朝食のシーンにこんなパンが欲しいなと思ってパン屋さんに行くんですが、なかなかイメージ通りのものがないときがあるんですね。そんなときは自分でパンも焼いて持っていきました。そうしていくうちに、編集者や現場の人から『料理もできるんですね』なんて言ってもらえるようになってきたんです。

                 

                −また仕事が仕事を呼んできたんですね。

                最初は小さな記事からでしたが、企画があると声をかけてもらえるようになってきました。徐々に認知してもらえるようになり、インテリアが7割、フードが3割ぐらいになりました。その後、一気に流れが変わったのは、結婚して子供が生まれたあとです。

                 

                −どういうことですか?

                インテリア・スタイリストの仕事は拘束時間も長く、とても忙しい仕事だったので、子供を産んでからも同じペースで続けていけるかどうかを考えると難しいんですね。忙しすぎて体を壊したこともあったので、どうしようか考えたんです。フードの仕事は、割と自分のペースでできるし、そちらにシフトしていけたらいいなとなんとなく思っていたんです。そして出産して家族や子供へ料理を作りながら、『料理は、ただ作るものでもなく、ただ魅せるものでもないのではないか』と思い始めたんです。子供にはちゃんとした物を食べさせたいという思いから、食べ物を通して次の世代に何かを伝えたいという使命のようなものを感じ始めたんですね。

                 

                −とても大切な使命ですね。

                最初は仕事にはならなかったのですが、そんな思いから食のイベントを開いたり、友人と期間限定カフェを開いたりしていました。子供を産んだ助産院で知り合ったママたちからも、お料理を教えて欲しいと言われて、お友達だけの料理教室を開いてみたりと、とにかく思いついたら何でも行動しちゃうんです。その後料理教室もできるような小さなカフェを出しました。スタイリングの仕事もあるので、カフェはスタッフに任せていましたけど。

                 

                −そしてフードの仕事が大半を占めるようになってきたのですか?

                自分の中では、自分の生活スタイルやバランスのためにインテリアの割合を減らし、フードの割合を大きくしていきたいと思っていたのですが、世の中が不景気になってしまって、インテリアの仕事も激減してしまったんですね。当時お世話になったインテリア雑誌もほとんどなくなってしまいました。インテリア雑誌って作るのに経費がかかる仕事なんですね。そんな自分の思いと、時代の流れが偶然合ったのか、運が良かったと思います。もしインテリアの世界しか知らなくて、それ一本でやっていこうとしていたら今頃は仕事が全くなかったかもしれません。

                 

                −先見性があったのですね。フード・スタイリストって世の中には結構いるのですか?

                フード・コーディネーターと言われる方たちはたくさんいます。民間の資格なども多くなってきましたが、フード・スタイリストと呼ばれる人は少ないと思います。それに本格的にインテリアとフード両方のスタイリストが出来る人は今でもいないと思います。

                 

                −そこが江口恵子さんの強みでもあるのですね。

                インテリアとフードは別々のように見えますが、生活というラインの上にはちゃんと一緒に乗っているものなんだと思うんです。私の場合は『暮らし』という言葉でくくりますが、普段の暮らしをきちんと分かっているからこそ、いろいろなことが分かってくる場合が多いのではないかと思っています。

                 

                −魅せるための表面だけではないのですね。

                取材を受ける機会が多くなってきたのですが、スタイリングのことを聞きたいということではなく、江口さんのライフスタイルについて語って下さいという内容が多いんですね。年を重ねて来た結果、実生活と仕事がリンクしてきたようにも思えます。

                 

                −料理教室のことも少しお聞きしたいのですが、江口恵子流の料理教室をひと言で言うとなんでしょう?

                「忙しい日常でもいかに無理なく作れるか!」を第一に考えています。料理って、理想はあるけど、忙しい中であれこれやるのは無理なんです。レシピも、あとひと品入れると見た目も味も上がるかも知れません。でも現実問題難しいと思ったら私は省くんですね。家にあるものやスーパーで買えるもので作れるレシピにするんです。私自身が、仕事をしながら、子育てをして、それでも子供たちにきちんとしたものを食べさせたいという経験を現在進行形でしているから、それが強みになっていると思っています。

                 

                −それでは今後の夢や目標についてお聞かせください。

                仕事のお話としては、撮影の仕事も、料理教室も、どっちも良い影響を与える存在なので両方共きちんとバランスよくやっていきたいと思っています。それから、昔から考えていることがあるのですが、多くの人にもっと家で料理をしてもらいたいと思います。女性や奥さんだけじゃなく、男性、旦那さん、子供でも楽しく手軽に料理ができるようになったら良いと考えています。そのために私がプロとしてできることは、より上手に時間を使えるような方法を提案することです。

                 

                −そういう考えを持ったのは何故ですか?

                今の世代の女性を見ていると本当にしんどそうなんです。やることが多すぎるんだと思うんです。料理も、掃除も、洗濯も視点を変えると、こんなにクリエイティブで面白い遊びはないんじゃないか?って私は思うんですね。だから、『また今日もご飯つくらなきゃ』とか、やらなきゃいけないと考えながら一生やり続けることがもったいない気がするんです。本人も辛いでしょうけど、そう思いながら作られた料理を食べさせられる旦那さんや子供も不幸ですよね。それをもし楽しいものに変えられるのだとしたら、その部分を私がお手伝いできたらいいなと思っています。

                 

                −働く女性も増えています。本当に女性は忙しくなりましたよね。

                子育てをしているママたちに『忙しいからこそ一緒に料理して』って言うんです。忙しいから外食じゃなく、忙しいからレンジでチンでもなく、忙しいからこそ子供やだんなさんと一緒にお料理をして、コミュニケーションを取りながら一緒に楽しめるようになって欲しいと思うんです。暮らしを楽しむことを伝えていきたい。それが私の仕事であり使命なんでしょうね。

                 

                −最後にひとことお願いします。

                私の好きな言葉に『アール・ド・ヴィーヴル』(art de vivre)というフランスの言葉があります。暮らしの芸術という意味なのですが、芸術って美術館に飾ってある作品のことだけではなく、暮らし自体が芸術なんだという考え方なんです。ママたちが生活を楽しむことで家族みんながハッピーになる。そういう世界をつくるためのお手伝いができたら素敵ですね。

                 

                −ありがとうございました。とても素敵な社会になっていきそうですね。ここから先は、江口恵子さんの活躍している写真集です。江口さんのホームページはこちらからどうぞ。









                 

                 

                【大角所感】

                自分のやっている行動や、仕事によって社会を良く変えていくことが人間の大切な使命の一つだとすると、江口恵子さんは生活を楽しむことから女性やお母さんを変えていく。それが家族を変えることにつながり、やがては社会を、世界を変えていくことにつながっていくのでしょう。

                 

                明るく語ってくれた様々な経験の裏には、歯を食いしばるような多くの努力や、人には言えない挫折があったのかも知れません。それでも、真っ直ぐな軸をもって自分の強みをその軸に重ねていく姿と、『自分』ではなく周りの人を幸せにしていく不思議な江口恵子術が、多くの人を惹きつけていくのでしょう。

                 

                私からのお勧めは、まずは江口恵子さんのホームページwww.natural-foodcooking.jpを訪ねてみてください。そして、ウェブページでの連載や、料理教室情報、お酒の会の情報などなど見ていて楽しい話題を目にして見てください。そして次に行動です。様々なイベントに是非出かけてみては如何でしょうか?実は私もおせち料理教室やお酒の会に参加させて頂きました!


                岩城みずほさんにインタビュー(Volume69)

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                  情熱インタビュー第69号は、オフィスベネフィット代表の岩城みずほさんです。岩城みずほさんは、放送局のアナウンサー、フリーアナウンサーから、コミュニケーション会社、保険会社を経て現在はファイナンシャルプランナーとしてご活躍されています。ファイナンシャルプランナーの中でもほとんどいない金融商品や保険商品を一切売らない中立な立場としてのポジションを築き上げたお金のプロです。オールアバウトでは学費、教育費、学資保険の記事を担当され、お金にまつわる著書も3冊出版されています。それではインタビュー記事をどうぞ。

                   

                   

                  −まず最初にファイナンシャルプランナーというお仕事についてお教えください。

                  ファイナンシャルプランナーという仕事は、夢やライフイベントなど、個人の将来のお金にまつわる面をサポートする仕事なのです。人生を豊かにするためにどうやってお金を役立たせるかということを一緒に考えていく役割なのですね。

                   

                  −なかなかそういう勉強ってしませんよね。

                  日本の場合はそういう教育を受けていないので、お金に対する意識が高くないと言われています。ですので最初は啓蒙的な部分が多い仕事とも言えます。

                   

                  −お金に関するイロハのような基礎的なことから教えていただけるのですね。

                  はい。今までの日本は、経済成長によって貯金をすれば利子がついてお金も増えてきました。土地を買えば土地の値段も上がってきました。会社に入れば退職金や年金の制度がしっかりとしていました。でも残念ながらどんどん時代が変わってきてしまいましたよね。これからはお金や経済の知識のあるなしで大きな差がついてしまうという現実があると考えています。

                   

                  −具体的にはファイナンシャルプランナーという資格をどのような形で生かしていらっしゃるのでしょうか?仕事の柱みたいなものはあるのですか?

                  大きく三つの柱に分けているのですが、まず一つ目は個人向けサービスとして、貯金と資産運用の勉強会を開き、夢や目標を実現するためのマネーリテラシーを身につけて頂きます。定期的なセミナーの開催によって賢いお金の殖やし方や経済の仕組みなどをレクチャーしていきます。セミナー開催のほかにもパーソナルセッションで、個別に具体的にアドバイスをしたり、もう少し本格的に資産管理をしたいという方には、パーソナル・マネー・コンシェルというお手伝いをさせて頂いています。


                   

                  −二つ目の柱はどんな内容なのですか?

                  二つ目は企業向けサービスです。ただし、しっかりした制度を作って運営している大手企業向けではなく、これから将来の年金制度などに不安を持っている中小企業の経営者の方や、小さな会社の方を対象にしています。

                   

                  −年金制度ですか?

                  はい。選択制確定拠出年金という厚生年金制度の上につくる年金制度の仕組みづくりのお手伝いをしています。でも仕組みを作っただけではだめなのですね。自己責任で上手に運用ができれば将来の受取額が増えますが、きちんと運用しないと増えません。ですので従業員の方に向けた投資教育が必要なんです。そういう教育の部分も含めてトータルでサポートしています。

                   

                  −投資教育が大切なのですね。それに“投資”という言葉もきちんと理解しなければなりませんね。

                  その通りです。“投資”というと『難しい』とか『大きなお金が必要なのでは?』とか、「ゼロサムゲームでしょう?」と言ったブラックなイメージを持っている方も多いのですが、全くそういうものではありません。こういうイメージは「投資」ではなく「投機」です。「投資」は、正しい知識と運用方法を身につけて、お金を運用していくことです自分も働くけどお金にも働いてもらうのです。

                   

                  −『投資』という言葉と『投機』という言葉の違いについて簡単にご説明して頂けますか?

                  投資というのは、経済にお金という血液を流すことだと思うのです。投機はギャンブル性が高く、誰かが勝てば、誰かが負けるマネーゲーム的な印象が強いものと捉えています。投資は皆が幸せになるためにすることで、誰にでもできることなのです。例えば同じ株券を購入するにしても短期的な儲けを期待して売ったり買ったりするのが投機です。逆に、この会社に成長してもらいたい、この会社のファンでいたいという思いから長期的に応援するのが投資と考えると分かりやすいかと思います。

                   

                  −なるほど。同じ株の運用でも全然違うのですね。さて、三つ目のお仕事の柱はどういうものですか?

                  三つ目の柱は、執筆活動です。『30年後も安心に暮らせる!お金の鉄則』、『結局、いくら貯めればいいの?30歳からはじめる私らしく貯める・増やすお金の習慣』、『保険リテラシーが身につく本−生命保険の基礎知識』という三冊の本を出しました。他にも、他の作家さんの本の監修や、オールアバウトの学費・教育費部門で月に1〜3本ほど記事を書いています。

                   

                  −最初に本を出版しようと思ったきっかけはどんなことだったのですか?

                  ファイナンシャルプランナーとして独立していくためには、名前も知ってもらわなければなりません。そのために本を出版してみたいとはずっと思っていたのです。私の場合とても運が良かったのですが、出版社の方から『本を出してみませんか?』と声をかけて頂いたのです。

                   

                  −それぞれの本がどういう内容なのか著者の岩城みずほさんから簡単にご紹介頂けますか?

                  一冊目の『30年後も安心に暮らせる!お金の鉄則』は、中小企業に勤める若いサラリーマン向けに書きました。全くお金のことを考えたことがない人向けにマネーリテラシーとして基本的なことを書きました。二冊目の『結局、いくら貯めればいいの?30歳からはじめる私らしく貯める・増やすお金の習慣』は、30代の女性向けに書きました。ちょうどこの頃になるとお金に不安を感じてくる女性が多いと言われていますので、そういう方々に少しだけ人生の先輩として経験も交えて書いたつもりです。三冊目に出た本『保険リテラシーが身につく本−生命保険の基礎知識』は、家庭に一冊置いておいて欲しいと思う本です。内容は是非読んでいただきたいのですが、ひとことで言うと、社会保障の充実している今の日本では入る必要のない部分にまでお金をかけてしまっているかも知れないということを伝えたかったのですね。困ったときのために最小限必要な保険にして、貯蓄や投資にまわすことを提唱しています。

                   

                  −岩城さんは保険会社や銀行など金融機関に属さない中立な立場のファイナンシャルプランナーだからこそ、そういう部分について言えるわけですね。

                  そうなんです。日本ではお金のことを相談するということがあまり根付いていません。社会に出て最初に出会う金融関係の人は保険会社の販売員という方々が大部分でしょう。そこには、やはり情報格差があると思います。私は、消費者の方に中立な立場でアドバイスできる存在になりたいと思いました。だから、保険商品など金融商品は一切売らないんです。ですから「いい」、「わるい」ははっきり言います(笑)。

                   

                  −そういうセカンドオピニオン的な相談も結構あるのですか?

                  はい。街の保険の乗り合い代理店で勧められた保険設計書を何種類も持って相談に来られる方もいらっしゃいます。

                   

                  −お仕事の三つの柱をお聞かせいただきましたが、具体的に岩城みずほさんのコンサルティングを受けようと思った時にはどうしたらよいのですか?

                  個人の方は通常、年間でコンサルティング契約を結んで頂くのですが、スポットでご相談に乗ることもできます。企業向けの場合は選択制確定拠出年金の運用をしている会社と共同で行っています。また、マネーセミナー等の依頼もお受けしています。いずれもホームページからお問い合せして頂けるようになっています。


                   

                  −それでは、少し遡ってお話をお伺いしたいのですが、岩城みずほさんがこの道にはいったきっかけについてお聞かせください。

                  私はずっとマスコミの仕事をしてきました。放送局に勤めていたのですが、結婚を機に退職し、その後はフリーでアナウンサーや司会、リポーターなどをしてきたのです。最初のうちは営業などもあまりせず、ありがたく仕事の話が来ていたのですが、世の中が不景気になるにつれだんだん仕事も厳しくなってきたのです。同時に、若い人達がすごく安い報酬でその仕事を受けるような時代になってしまったのです。

                   

                  −どの業界でもそういう話があるのですね。

                  はい。その時に、もうこの業界はいいかな?と思ったのですが、いざ何をしようと考えると、自分が何もできないことに気づいたんです。事務仕事もできませんし、特別な資格があるわけでもなく。

                   

                  −厳しい時代に新たなことをやろうというのは大変なのですね。

                  先輩アナウンサーたちを見ていると、コミュニケーションの講師やマナー講座などのセミナーを開かれている方が多いことが分かり、私もセミナー会社に入社することにしました。そこで担当したのが、大手の銀行と生命保険会社のコールセンターさんに向けたコミュニケーション研修セミナーの構築のお仕事だったのです。そのセンターの問題点をあぶり出し、セミナー構築をして、スパーバイザーの方にノウハウをお伝えするという仕事です。

                   

                  −研修構築のお仕事なのですね。

                  はい。ただ、金融機関のお仕事ですから用語が分からないといけません。その時に慌ててファイナンシャルプランナー3級の資格を取ったのです。それがファイナンシャルプランナーとの最初の出会いでした。ファイナンシャルプランナーの資格の勉強をしていくうちに、どんどん知識が自分の中に蓄積されていくことがとても楽しかったです。その後、生命保険会社に声をかけられて入社することになったのです。

                   

                  −生命保険会社を経験されたのですね!

                  日本の伝統的な生命保険会社では義理人情、プレゼントという営業スタイルですが、外資系の保険会社に仕事や顧客を奪われるということが起きていました。それを何とかしなければならないということで、トップ直轄のプロジェクトチームを立ち上げることになり、その一員として参加させていただきました。

                   

                  −どうでしたか?改革できたのですか?

                  1年程経った時にリーマンショックがあり、会社も大変な状態になってしまいました。背に腹は代えられない…と、結局もとの体質に逆戻りしてしまいました。理想だけでは駄目だということでしょうか。待遇は非常に良く、仲の良い同期も残る人が多く考えたのですが、自分に正直に生きるため、結局辞めることにしました。

                   

                  −それで独立を?

                  はい。見切り発車ですが、もう独立するしかないと思い始めたのです。もちろん最初は仕事が全くないので、コミュニケーション研修等でつないでいました。

                   

                  −コミュニケーション研修といってもいろいろな種類があると思いますが、岩城みずほさん流の研修はどんな感じなのですか?

                  講師として人前に立つ方たち向けの研修なのですが、ファイナンシャルプランナーや、士業の方たちが多いですね。人前で話すためのスキルを身につけてもらう研修です。以前勤めていたセミナー会社で行っていた研修を私なりにアレンジしているのですが、もともとはアメリカのスキルをベースにしています。

                   

                  −なるほど。そして今ではファイナンシャルプランナーの仕事が中心になっているのですね。

                  はい。でも今年はまた、コミュニケーション研修もやろうと思っています。先日、3年ぶりに依頼されて講演したのですが、とても楽しかったんです(笑)。

                   

                  −ますます忙しくなりますね。それでは今の仕事の話に少し戻りますが、私もプライベートで参加させて頂いている『C-LEAGUE』についてお話頂けますか?

                  Cリーグは今回で2期目になるのですが、始めたきっかけは“習ったことを実行してもらうため”なのです。通常のセミナーや本を読んで頂いて『なるほど!』と理解されても、それを実行する人が少ないことに気づいたのです。また実行しても途中で挫折してしまう方も多いのです。せっかく興味を持ってくれたのに、しばらくすると忘れてしまう。行動を起こさなければ何も変わらない。ここにもっと力を入れなければいけないと思ったのです。1ヶ月に1度の定例会と、個人セッションが月に1回ついている研修会で、徹底的に一生使えるマネーリテラシーを身につけて頂きます。

                   

                  −私も益々これからが楽しみです。それでは最後に岩城みずほさんの夢をお聞かせ頂けますか?

                  これからもずっと金融商品を売らない中立の立場でこの仕事をしていきたいと考えています。そして夢としては、皆さんが年金を貰うときに、『ああ、あのとき、お金の勉強をしておいてよかったな』と思ってくれることですね。

                   

                  −ありがとうございました。たいへん勉強になりました。

                   

                  【参考ページ】

                  Office Benefit… http://www.officebenefit.com/

                   

                   

                  【大角所感】

                  企業や店舗を経営されている立場の方は日々お金と寄り添っていると言っても良いでしょう。毎日の売り上げが気になりますし、入金管理も大事。バランスシート、損益計算書、キャッシュフロー計算書を読み解きながら明日を考える日々ではないでしょうか?私はそうです。でも、いざ自分のこととなるとほとんど何もしていないことに気づきました。自分の資産をどうやって運用しているか?いえ、運用なんてしていません。どんな保険に入っているか?ほとんどお世話になりっぱなしでよくわからない状況…。やはりこれではいけませんね。

                   

                  そう思ってはいても、じゃあどうすればいいの?本を読めば分かるの?明日から実行できるの?そういう気持ちを持っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?

                   

                  私は月に1回の岩城みずほさんのCリーグに通うことにしました。岩城さんの著書も購入しました。そこで1年かけて、ちゃんと将来の生活設計を考えていきます。最後までお読みいただきありがとうございました。 

                  杉山栄作さんにインタビュー(Volume68)

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                     情熱インタビュー68人目にご登場いただくのは、ソニー生命保険株式会社エグゼクティブライフプランナーの杉山栄作さんです。杉山栄作さんは多くのお客さまとの交流を大切にされ、その数は1500人を超えると言われます。しかし数ではなく質にこだわる営業スタイルは業種を越えて参考になり、私もいつも勉強させていただいています。

                     

                    −まずは今、杉山さんが取り組まれているお仕事の内容をひとことで言うと、どんなことになるのでしょうか?

                    お客さまのアフターフォローが仕事の中心です。担当させて頂いている約1500人のお客さまとの関係性を深める活動を積極的に行っています。

                     

                    −「関係性を深める」ですか?

                    はい。お客さまとの一対一の面談に加えて、様々な場の提供をしています。たとえば、『星座の会』であったり、『カウンセリングの会』、『コーチングの会』などです。でもこれはご契約くださったお客さま限定の会ではなく、友人やお客さまの知り合いの方なども含めご縁のある幅広い形で運営しています。そのほかに社内的には、後輩の営業マンの指導や精神面ケアなども行っています。

                     

                    −指導やケアというのは立場的に会社組織の中での職務として行われているのですか?

                    いえ。自主的に行っています(笑)。営業の現場組織は上司部下の関係とは違って、指示・命令によって目標を組織で目指すという形ではないんですね。

                    −目標が与えられないということはある意味自由に時間も使えるわけですか?

                    そうですね。週のうち決められた曜日の朝のミーティングには必ず出席しなければなりませんが、それ以外は比較的自由に動けます。ただ、自由って難しいんですね。セルフコントロールの能力が求められる面もあります。

                     

                    −この道何年になるのですか?

                    今年で24年目になります。ただ、その前にアパレル業界で4年ほど働いていますので社会人としては28年目になります。

                     

                    −それでは時間を遡って、この業界に入るまでのお話をお聞かせ頂けますか?

                    子供のころに遡りますが、父の影響でアメリカンフットボールに興味を持っていたんです。その頃、普通は野球やサッカーに興味を持つのが一般的でしたが、私の場合はアメフトだったんです。それでよく大学生の試合を見に行っているうちに、10歳(小5)の頃に当時の大学監督から夏合宿に参加しろと言われたんです。

                    ▲当時の監督と交わした約束 1975813日(小5)

                     

                    −え?大学のアメフト部の夏合宿に小学生で参加するのですか?

                    はい。父がその大学のアメフト部出身で監督の一年後輩にあたることもあって、何故だか参加することになってしまったのです。大学生と一緒に寝食を共にするため食後のミーティングにも参加していました(笑)。

                    ▲前列中央30番が杉山さん

                     

                     

                    そんなことをしているうちに日本でもNFLブームがやってきて、国立競技場でジャパンボウル(全米カレッジオールスター戦)という大会が開かれることになりました。

                     

                    −日本でも本格的にアメフトが観戦できるようになったんですね。

                    はい。その第一回大会の開会式で、私が始球式を務めることになりました。

                    ▲国立競技場で68000の大観衆の中始球式(小5)

                     

                    その翌年、私が6年生の時には今でも続いているパールボウル(今年で37回目)という試合でも第一回大会の始球式にも出させてもらうことになりました。

                     

                     

                    ▲後楽園球場で日本初のナイターフットボウルで始球式(小6)

                     

                    −それは名誉なことですね。その頃にも子供が入るようなアメフトクラブのようなものがあったのですか?今のサッカーチームのジュニアチームのように。

                    いえいえ、もう先ほどの大学の夏合宿メンバーというだけです。小学校5年生、6年生の2年間その合宿に出させられて一緒に練習をしただけです。ただ、どちらかというと嬉しくて仕方がないというよりは、抜けられない状況でしたね(笑)。

                     

                    −アメフトというと大きな体の人が行うスポーツというイメージが一般的にはあると思うのですが。

                    アメフトというスポーツは、アメリカから入ってきたスポーツなだけに分業が進んでいるんですね。大きい体の人は体格を活かしてブロックやタックルをする仕事をし、小さい体であっても俊敏性を活かしてボールを持って走る仕事もあるのです。私の場合はワイドレシ−バー(WR)と言って、パスキャッチをして走って点を取る役割でした。

                     

                    −いつから本格的に始めたのですか?

                    日本大学フェニックスというチームのお膝元でもある日大桜丘高校に入学して、アメフト部に入りました。これも入らざるを得ない状況だったんですけどね(笑)。

                    ▲春季大会(高3)

                    −スポーツでも強豪校ですよね。

                    当時は全国的にも有名なアメフト部でした。練習も日本大学フェニックスと同じグラウンドでやりますし、当時のスター選手のプレーを目の当たりにできるのですから強くなければなりませんよね。

                     

                    −では相当練習も厳しかったのでしょうね。

                    その当時は大変な思いもしましたが、大学の練習と比べてしまうとそれなりですね(笑)。

                     

                    −それぐらい大学の練習が厳しかったのでしょうね。高校の時の試合の成果はどうだったのですか?

                    私が3年生の東京都大会では春、秋共に優勝しました。ただ、その後の関東大会では春・秋ともに神奈川の慶応高校に負けてしまうんですね。これは悔しかったです。一方、兄貴分の存在である日本大学フェニックスは5連覇をやり遂げた年だったんです。

                     

                    −当然大学からお誘いがかかるんですよね。

                    お誘いというか当時の高校監督からのプレッシャーですね。私たちは日本大学フェニックスの直系ということもあって毎年必ず何人かは大学でもプレーを続けることが当たり前の境遇でした。前人未到の6連覇のかかった大学フットボール界の憧れのチームではあったのですが、同時に、怖い、厳しい、スパルタ、練習量の長さを考えると、近くで見ていただけに簡単に『行こう!』とは思えないのです。特に私は子供のころからよく知っていましたから。

                     

                    −それでも日本一を毎年取っているというのは素晴らしいですね。

                    最終的には、部の「セレクション」を受けてフェニックスに入部することになったのですが、このチームに入るにあたって、自分自身に言い聞かせたことがありました。

                     

                    −それはどんなことですか?

                    一生分の苦労をこの4年間に凝縮させよう。ということです。この部を卒業すればもう人生で苦労することはないと。まあ、今にしてみればそんなことはないはずなんですが、当時はそういう思いでチームに入る決心をしました。

                     

                    −卒業後4年間の苦労以上に大変なこともありましたか?

                    いえそれが、もうすぐ50歳になりますが、けっこう当時の想定通りで、もしかしたら大学4年間にほとんどの苦労は置いてこれたんじゃないかと思えているんですね(笑)。

                     

                    −“あの大変さに比べれば”という比較ができることは大切だといいますよね。

                    まあ、その時代の話をすると2時間や3時間では終わらないので、それはまた大角さんと飲んだときにでも(笑)。

                     

                    −大学の頃のフェニックスの成績はいかがでしたか?

                    当時の監督在任中の公式戦の勝率が9割を超えるチームでしたので日本一以外はあり得ない部にもかかわらず私が4年の時は日本一を逃しました。東西学生日本一を決める甲子園ボウルで、関西代表の京都大学に負けてしまったのです。私は部員の総責任者でしたので、その後は、それはそれは大変なことが待っていました。詳細はなかなかお伝えできるものではありません(苦笑)。

                    ▲東西学生オールスター戦のため関西遠征

                     

                    −その後、アパレル業界に就職というプロフィールですが何か縁があったのですか?

                    その会社では、これからアメフトチームを作ろうという話になっていたそうです。それで昔から親交のあった監督に相談にいったところ、杉山はどうだ?ということになったそうです。私の意思とは関係ないところで就職が決まってしまったんですね(笑)そういう世界でした。

                     

                    −社会人アメフトチームを本格的に立ち上げたのですね。

                    それが、就職したもののなかなかチームができずに、3年後、結局チームは作れないということが決まりました。それで、私のミッションも宙に浮いた形になり退職を希望しました。非常に良い条件で働かせてくれたり、ありがたく慰留をしていただいたのですが、私自身は年功序列などではなく、努力や成果が正当に報われる仕事に就きたいと思い始めていたんです。

                     

                    −それで保険の世界にはいられたのですね。

                    ある時、テレビ番組で転職特集をやっていたんです。ユニークな会社の紹介をしている中で、今の会社が出ていたんです。その内容は私の中の保険セールスのイメージを払拭してくれました。自分の憧れでもあるSONYという会社が行っている保険会社ということもあり、その番組を見た瞬間に『これだ!』って思ったんです。食事中だったのですが、私にとっては箸を落としてしまったぐらいの衝撃だったんです。

                     

                    −保険の営業の仕事で大事なことを教えてください。

                    実は、最初の頃は今と考えが違っていました。契約者本人にとって、希望する通りの商品をお勧めすることが一番大事なことだろうと。

                    納得して契約した商品だから、それ故に満足度が高いんだろうと思っていたんです。

                     

                    −商品の価値は大切ですよね!?

                    商品がいいから契約をしてその後も継続してくれると思っていたんです。でも、大事なことはそれだけじゃなかったんです。ある時、契約をしてくれた先輩に言われたんですね。『加入してもいいけど、仕事辞めるなよ。』って。

                    この仕事の本質的なことをまだ十分に理解していなかった私は『もちろん、辞めるつもりはありませんが、私がいつか辞める、辞めないってそんなに重要ですか?』と聞きました。すると、『当たり前だろう。俺はお前だから入るんだぞ。』という言葉が返ってきたんです。私だから契約してくれる人がいるんだと気づいたことが、最初の転機でした。

                     

                    −それはよく分かります。でも何故『人』ではないと思っていたのですか?

                    足繁く通って熱心だとか情に訴えかけるような営業スタイルを否定したい自分がいたんですね。もっと客観性をもって、あなたに合っているからこの商品なんだということで仕事をしたかったんだと思います。

                     

                    −商品やサービスの内容は大切ですけど、やはり最後は『人』なんですね。その後はどうなりましたか?

                    その後、順調にお客さまが増えていったのですが、また10年ほど経った時に転機が訪れました。新規契約の活動をやめたんです。

                    −それは何故ですか?

                    ある時後輩の営業マンの退職に伴いお客様を引き継ぐことになったのですが、その難しさを目の当たりにしたんです。保険は「人」ですから、人が変わると全然ダメなんですね。なかなか会ってももらえませんし、解約されてしまうこともありました。ちょうどその頃、私が担当するお客様は1000人を超えてきた頃だったのですが、いったいいつまでお客さまを増やし続けていったらいいのだろう?とふと疑問を持ったんです。そこで、考えたのは今のお客様を大事にしよう。今のお客様との関係性を深めようと路線を変更したんです。そこから10年は試行錯誤しながら自分の価値を高める修行の期間のようでした。

                     

                    −具体的にはどんなことをその10年でされてきたのですか?

                    契約満足度が高くなるよう担当している私の価値を高める努力をしていました。以前から始めていたカウンセリング(リアリティセラピー/選択理論心理学)の勉強に加えてCTIジャパン http://www.thecoaches.co.jp/ でコーチングの資格CPCCCertifiedProfessionalCo-ActiveCoachを取得しました。また仕事の合間に4度アメリカに渡ってリーダーシップトレーニングを積みました。それらが自分の強みを作り、お客さまの人生の役に立ち、自分の付加価値を高めることに繋がると信じていました。

                     

                    −カウンセリングの勉強を始められたきっかけって何だったのですか?

                    ある意味お金の限界を感じたということでしょうかね。私の取扱っている生命保険という商品は、事故や災害、病気などによって一定収入を維持できなくなった時の経済的打撃をカバーするものですが、人はお金だけでは幸せになれないと思ったからなんです。でもその一方でお金があるから再び前を向いて歩く勇気がわいてくることもあるわけです。万一のことがあった時はお客さまに寄り添い適切な心のケアを行うことができる担当者になりたいと思いカウンセリングの勉強をして資格を取りました。その後、私自身がカウンセリング勉強会を毎月主催するようになり現在は15年目を迎えています。

                     

                     

                     

                    ▲CS楽満流(カウンセリング勉強会)10周年

                     

                    −コーチングを始めたきっかけについてもお教えください。

                    カウンセリングはとても重要ですが、それだけでは不十分だと思っています。お客さまの担当ライフプランナーとして、共に夢を語り、ビジョンを明確にして、人生の目的を実現するサポートができたらと思いました。

                     

                    −これで、商品知識に加えて、カウンセリング、コーチングの武器を手に入れたわけですね。

                    そうですね。今から10数年前の2001年の頃の話です。そのせいなのか自分が年齢や経験を重ねたためか分かりませんが、信用度は増してきたように思ってます。

                     

                    −杉山さん自体、いろいろと苦労され、試行錯誤を繰り返され、大変だと思うのですが、今の仕事をどう思いますか?

                    正直言ってこんな面白い仕事は他にないと思っています。大げさに思われるかもしれませんが、生まれ変わってもこの仕事に就きたいと思っています。これぐらい好きな仕事です。それは、私の仕事が単に“保険営業マン”ではなく、お客さまの人生の伴走者たる“ライフプランナー”だからです。これまでこの仕事を通じてたくさんのものを得てきました。人とのつながりや経済的基盤はもちろんありますが、自分自身が商品の一部であることから、自分を絶えず磨き続けなければならないことが結果的に“もたらされる豊かなもの”なのではないかと考えています。

                     

                    −どんなときにやりがいを感じますか?

                    お客さまに頼られ、感謝され、愛されていることを実感できた時に喜びとやりがいを感じます。お客さまの幸せを第一に考えていれば自分の仕事も発展する。会社の経営理念がしっかりしているからこそ、私たちがその方向に向けて迷わず仕事ができていると思います。尊敬できる会社の一員でいることも誇りやりがいになっています。

                     

                    −最後に将来に向けての夢や目標があればお聞かせください。

                    この仕事に関しては、責任をもってきちんと退職できる準備を整えたいと考えています。生涯現役という言葉がありますが、その思いだけではいけないと思うんです。若い人材を採用育成し、責任をもって引き継ぎをしていかなければなりません。それが次のステージだと思っています。

                     

                    −杉山栄作さんという人に惚れて加入した、何千人という多くのお客様ですから、その引き継ぎも大変ですよね。

                    自分も同じ経験をしただけに簡単なことではないのはよくわかりますが、時間をかけて丁寧に引き継いで行きたいと思います。お客様を安心させたいという思いでやっているのに、お客様を自分のことで不安にさせてはいけませんから、しっかりとここはやっていきたいと思います。ただ、もちろんご契約は後輩に任せたとしても、人と人との関係は一生変わらず続けていけたら素晴らしいですね。そしてライフプランナーを憧れの職業にしていきたいとも思っています。

                     

                    −仕事以外にはありますか?

                    大角さんにも出席してもらっていますが、星座の会などを通して、人生が豊かになる集いの場をこれからも提供していきたいと思っています。星座の会を始めてから今年で15年が経ちます。月に一度のこの会をどんどん広げていって将来『星座ハウス』のようなものをつくりたいと思っています。血縁関係とのコミュニティだけではなく、新しいカタチのコミュニティがあっても面白いんじゃないかなと思っています。まだ漠然とではありますが、そんなことを考えています。

                     

                    −ありがとうございました。たいへん勉強になるお話をお伺いできました。

                     

                    ◆杉山栄作さんのウェブサイト eisaku.netもご覧下さい

                    http://www.eisaku.net/

                     

                    【大角所感】

                    杉山さんと出会ったのは、私がまだ経営の立場になる前、ビジネスセミナーでの『コーチング体験』でした。その後、セミナーの依頼をお願いしたり、コーチングセッションをお願いしたり、また星座の会や、カウンセリング会に出席させていただいてきました。

                     

                    杉山栄作さんとお付き合いをさせて頂き感じることは、とにかく人が集まる人だということ。そしてそこに集まる人たちはみな素晴らしい人たちだということ。そこから様々なご縁を私自身も頂きました。

                     

                    様々な勉強をされ、多くの資格を取られ、精力的に様々なことを企画し主催している杉山さんにとても憧れます。これからもいろいろと勉強させていただきたいと思います。


                    平山八重さんにインタビュー(Volume67)

                    0

                       情熱インタビューの67人目にご登場いただくのは、語り部の平山八重さんです。私が初めて『語り』を聞いた時、その迫力に圧倒されました。世の中がどんどんデジタル化されていく中、日本古来の『語り』で様々な物語を表現する、情熱をお持ちのとても素敵なお話を聞かせていただきました。それではよろしくお願いします。

                       

                      〜それでは最初に、そもそも「語り」とは何か?についてお聴きします。

                      人の心のヒダに語りかけるもの…

                      ある人にとっては心のより処にもなるものだと思っています。よく「朗読と語りはどう違うのですか?」と聞かれます。

                      朗読と語りの違いは一般的に明らかです。語りの第一人者である鎌田弥恵先生、そして現在 脚本、構成をお願いしているS先生はこのように話しています。朗読は作品の意図を汲み取り正確に分かりやすく読み伝えるもの。これに対して語りは、語り手の個性を活かした解釈、表現を行う。内なるものを自ら引き出して語り伝えるもの。と…

                       

                      −だから語り部によって作品の表情が変わっていくんですね。そもそも何故「語り」だったのでしょう?

                      自分を表現する何かをしたいと思っていました。その何かを見つけるまで随分回り道をしましたが…。高校時代、美大へ行く為の予備校へ一年間通いました。第一志望校は不合格でしたが、女子美術短期大学と桑沢デザイン研究所のどちらかへ進むか悩んだ末、専門的な技術、知識を身につけたほうが就職には良いのでは  という理由で桑沢へ入学しました。卒業後はスタイリストの事務所へ就職。事務所へ入ってからは掃除から雑用、事務所にいる3人の先輩スタイリストのアシスタントとして休みなく働きました。

                      毎日が忙しくただ、ただ過ぎて行くという日々の中、字のごとく心を亡くしていきました。本当にこれが自分のやりたい仕事なのか疑問に思い最終的にこの世界をさることにしました。

                       

                      −ではその仕事をやめられてから「語り」に出会ったのですね?

                      はい。たまたまつけたTV番組でした。それはNHK芸術劇場という番組で平野啓子さんという方の「語り」を見た時です。芝居でもなく朗読でもないこの世界は何なのと惹きこまれたのがきっかけです。その後、平野さんの師匠が ラジオドラマ「君の名は」のナレーションをつとめた伝説の語り部鎌田弥恵先生だと知り舞台へ足を運びました。その時の震えるような衝撃はいまでも忘れることができません。心が動きました。ドクドクと脈打つように自分の感情に訴えてきました。

                       

                      −さわりの部分だけですが、私も平山さんの語りを聞いたときにはとても衝撃的でしたよ。声のトーン、声の質、視線、緊張した空気感、立った数分でしたが今まで感じたことのない世界を経験しました。どうやってあのような臨場感あふれる『場』を作るのですか?

                      自分の中でイメージを作りこんでいきます。物語を読んで感じたこと、時代背景、細かい部分は主人公になったつもりで考えます。例えば、この人は、何歳なんだろう?普段どういう生活をしていて、どんな話し方をするのか?どういう所作で、どう過ごしているのだろう?私の場合はそうやって作りこみ、感情表現していくんです。

                       

                      −原作には書いていない事を考えるのですね。

                      はい。ここが朗読を超える語りのポイントの一つだと思うのですが、原作から出て、原作を離れ、語り手の中で物語と言葉が再生してある魂の形になるのが「語り」なのだと思います。それが人の心に響きくのだと思います。

                       

                      −なるほど。では作品選びもポイントになってくるのではないでしょうか。

                      はい。大きいと思います。私の場合ですが、当面は「喜怒哀楽」の「哀」をテーマに語りたいと思っています。お笑いや落語は「笑」をテーマにしています。私は「哀」なんです。私達は日常のささいな出来事に一喜一憂し怒ったり落ち込んだりしています。人は苦しみや悲しみにぶつかった時、より強く また優しくなれると思うんです。好きな物語はこういうテーマが綴られていたり、時代物では人情ものが多いですね。山本周五郎の作品なども好きです。

                       

                      −山本周五郎さんの作品ですか?

                      はい。山本周五郎さんの作品は、お金持ちや、権力のある人を主人公にするのではなく、一般市民の日常の中での心の機微などを描いていくんです私もそういう気持ちに寄り添って、表現をしていきたいなと思っています。

                       

                      −いろいろとご苦労をされてきたのでしょうね。そういう経験が『語り』にも幅を持たせるようになってきたのでしょうね。

                      20代の頃は苦しいこともいろいろありましたが、今はとても楽になりました。素直に自分を表現できるようになりましたし、それなりに若い頃に比べれば歳もとりましたし(笑)。

                       

                      −少し深堀りしたいと思うのですが、『語る』こと、『話す』ことってどうやったらうまくなるのでしょうか?

                      どうなんでしょうね!?(笑)。一朝一夕には行かない部分もあるとは思いますけど、私の場合は、技術的にはボイストレーニングに通ったりはしていますが、テクニックだけではダメなんですよね。

                       

                      −テクニック以外の部分とはどういうことでしょうか?

                      テクニックだけのお話ってすぐわかっちゃうんですよね。「はいはい、上手なのね」と言われてしまうような感じです。でも、人の心を揺さぶるには、心や感情の幅を広げて作品の中の人物に寄り添って行くことが大事なのではないかと思っています。ですので、人生の経験が増えれば増えるほど表現の幅が増えてくるのではないかと思います。

                       

                      1回の公演はどのくらいの長さなのですか?

                      たいてい1時間から1時間半ぐらいです。ですので、飽きないような工夫を凝らすこともあります。一人での語りもあるのですが、尺八の演奏を入れたりすることもあります。聞き手と語り手が一体になるライブを重視でやっています。まずは、地元を中心に活動しています。

                       

                      −地元を軸にしているというのは何か理由があるのですか?

                      まずは、鴻巣という地元で、ひとりでも多くの方に知ってもらいたいと思っています。

                       

                      −公演、ライブに来られる方の年齢層はどんな感じなのですか?

                      今は、60代以上の方が多いですね。でも、若い世代の方にもアプローチをしていきたいと考えています。若い人は忙しいのでなかなか来られないと思うのですが、でもだからこそ聞いてもらいたいという思いはあります

                       

                      −存在を知らないだけかもしれませんよね。私も初めて『語り』を聞いて、こういう世界があるんだ!とびっくりしました。これはとても身近な芸術ではないかと思いました。

                      そうですね。私の考えた造語ですが、語りはひとつの“時間芸術”だと思うんです。1400年前の『古事記』に遡ることもできますし、村上春樹に飛んでいくこともできます。それが面白いところです。でも、面白いのは、時代が変わっても人は変わらないということです。悩んだり、恋をしたり、それは大昔も今も全く変わりませんよね。生活の様式が変化しただけで人の気持ちや感情は変わらないんです。百人一首を詠んでもそうですよね。

                       

                      −『語り』は奥が深いですね。

                      時々言われるのですが『語り』は『騙り』だと(笑)。でも確かに、ないものを言葉で表現したり、伝えたりするという意味では、同じなのかもしれませんよね。

                       

                      −この世界に入って何年ぐらい経つのですか?

                      朗読を始めてからは12年ぐらい経つのですが、語りは7年ぐらいです。

                       

                      −日本には何人ぐらい『語り部』の方がいらっしゃるのですか?

                      とても曖昧な世界ではあるのですが、鎌田弥恵先生が第一人者であることは間違いなく、そこからお弟子さんたちが派生しているのではないでしょうか?アナウンサーの方の『朗読』も入れるとかなりいらっしゃるとは思いますが、ただ、これだけで食べていける人は多くはないと思います。

                       

                      −語りと朗読は全然違うものなのですね。役になりきるという意味では舞台の役者さんと近い感じでしょうか?

                      舞台となると視覚的な効果がありますので、それともまたちょっと違うんですね。『語り』は聞き手に想像してもらうんです。芝居のような感覚で語るとまさに字のごとく「芝居がかって…」と思われてしまうんです。聞き手に想像してもらう、入り込んでもらうことが『語り』の難しさであり、醍醐味でもあると思います。また演劇に比べて動きが少ない分その佇まいが「語り」の劇的空間を大きく左右するように思います。

                       

                      −平山さんの人生にとって『語り』との関係をどう捉えていますか?

                      自分の感情を表現するということは、良い思いも、悪い思いも全て吐き出すことになるんですね。蓋をしたまま忘れてしまいたい過去の感情を、あえて蓋を外してその感情を吐き出すんです。自分を知るひとつの道具とでも言うんでしょうか?語りがあったからこそ、今の自分があると思えています。

                       

                      −その熱のこもった『語り』が、聞き手の感情の蓋も外すことになるのでしょうね。

                      私のテーマが『哀』なので、扱う作品によってはハッピーエンドになるという結末は多くはないかもしれません。賛否両論いただきますが、『ちょっと考えちゃうな』とか『もう少し明るくて笑える話にして欲しい』とか、そういうことを言われることもあります。ただ、何かを感じて頂けたのならそれは嬉しいことです。

                       

                      −最後に、平山さんの将来の展望についてお話いただけますか?

                      今までと同じように、ひとりでも多くの方に『語り』を知ってもらいたいと思います。まずは地元の鴻巣を中心に活動の幅を広げますが、例えば市内の学校を周ったり、今よりも更にボランティア活動にも貢献したり、文化芸術を広める活動もしたいですね。日本語の美しさを伝えていく活動に貢献できたら嬉しいです。また、子供向けにも良い作品をたくさん紹介していきたいと思います。

                       

                      −ありがとうございます。是非、『語り』をもっともっと広めていけたらいいですね。私もまたゆっくりと『語り』を体験したいと思います。

                       

                      【大角所感】

                      『語り』。それは私にとっても衝撃的な体験でした。いきなり会場の空気がピリピリと張り詰めたかと思えば、ふわっと優しい空気が漂う。たった一人の人間が、言葉を発しているだけなのに、その場面がはっきりと目に見えるようでした。この感覚はなんだろう?と今までに一度も経験したことのない世界に引きずりこまれました。物語の内容も素晴らしいのでしょうが、その表現者の平山さんが、どういうきっかけで、どういう思いでこの『語り』を始めたのか?とても興味が湧き、インタビューを申し込みました。この素晴らしい世界を、もっともっと広げて行くことが、語り手だけではなく私たち日本人の使命ではないかと感じています。2012年は月に一度の公演を主催され、2013年も『語りあんぎゃ』と題した8回の公演を開かれました。2014年も活発に活動されると聞きました。是非、今年こそはもっとゆっくりと平山八重ワールドに浸かりたいと思います。皆様も機会がありましたら、是非公演をライブでお楽しみ頂ければと思います。


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